パドマサンバヴァの秘密の教え(99)「宝の釘の遺言」
第二章 見解と瞑想
1.宝の釘の遺言
この一連の助言は、イエーシェ・ツォギャルに対して語られたものである。
「私、ウディヤーナの蓮華から生じた者(パドマサンバヴァ)は、自他の幸福の為に法を修めた者である。
ブッダガヤーの東にて、スートラの教えを修習し、造詣を深めた。
ブッダガヤーの南、西、北でそれぞれヴィナヤ、アビダルマ、パーラミターの教えを修習した。
バスダラではクリヤーを修習し、ウディヤーナの地でヨーガを修習した。
ザホール国では二つのタントラを修習した。
ジャーの地でキーラを修習し、シンハの国ではハヤグリーヴァを修習した。
マルツェイの地ではマモを修習した。
ネパールでは、ヤマーンタカを修習した。
ブッダガヤーのヴァジュラーサナでは、アムリタを修習した。
ジャラの地では、グヒャサマージャを含む四つの父タントラと母タントラを、博識を得る為に修習した。
大いなる完成(ゾクチェン)は、自然に認識する心から修習した。
私は、すべての現象は夢や手品のようであると完全に理解した。
チベットの地において、衆生の幸福の為に多大な活動を行なった。
衰退の時代に、私は衆生に恩恵を与えるであろう。
故に私は、そう定められた人々と巡り合うであろう無数のテルマの宝を隠した。
これらのテルマと巡り会うすべての幸運な者達は、パドマサンバヴァの指令を果たすであろう!」
◎アティ・ヨーガの本質
「エマホ!
この時代の終わりに、私のテルマの宝は、この雪深い地チベットで栄えるであろう。
聞きなさい、その時、私の助言に従うすべての者たちよ!
大いなる完成であるアティ・ヨーガの本質を掴むことは難しい。よってこれを修習せよ!
この本質は、目覚めた心の状態である。
あなたの身体は人間であり続けるが、あなたの心は悟りの境地へと到達する。
大いなる完成の教えがどんなに深遠で、広大で、全てに於いて包括的であったとしても、それらはすべてこれに当てはまる。
ほんの少しも、それらについて瞑想したり、それらをでっち上げたりするな。そして一瞬たりともそれらに気を取られてはならない。
これを理解できない者たちは、これを陳腐な決まり文句として用いる危険がある。
『瞑想しなくてもいいんだ!』――このように言う彼らの心は、輪廻的な、注意を逸らす事柄にとらわれ続ける。
たとえ非瞑想の本質を理解したとしても、彼は輪廻とニルヴァーナが同等のものであると悟らなければならない。
理解が生じたら、あなたは当然輪廻から解放されているべきで、それによってあなたの平静を乱す感情は自然と弱まり、生来の目覚めた状態になる。
心の乱れが静まっていない『理解』に、どんな意味があるというのだろうか?
しかしながら、『瞑想など必要ない』と言いながら、五毒に耽る者たちもいる。
彼らは自らが確実に地獄に落ちるということを理解していないのだ。
あなたが本当に悟っていない見解について言明するな!
『見解』は見ることを欠いていて、心の真髄は偉大なる空性の広がりなのだから。
『瞑想』は瞑想することではないのだから、自分の個人的な経験に固着しないようにしなさい。
『行為』は行動することではないのだから、それは捏造されることのない自然らしさである。
『成就』は、放棄でもなく達成でもないのだから、偉大なる歓喜のダルマカーヤである。
これらの四つの言葉は、私の心からの言葉である。
これらに反すれば、あなたはアティ・ヨーガの本質を見出し損ねる。」