パドマサンバヴァの秘密の教え(130)「25人の弟子たちへの歌⑤」
「聞きなさい、デンマ・ツェマンよ、卓越したものよ!
心は主体と客体を持たず、作られていない。
よって、努力とごまかしから心を解放させ、瞑想によって何も創造せず、
自己存在の本質的な認識の中で、迷わされずにとどまるのだ!
その状態にとどまることによって、本質的な認識は解放される。
これを捨て去るならば、絶対にブッダを見つけられないだろう!」
「聞きなさい、チンブーの翻訳者カワ・ペルツェクよ!
主体と客体を手放すとき、心は見るものではなくなる。
同様に、それは作られることなく、修正されることはない。
実在性の固定へと巻き込まれずに、寂止の状態でとどまるのだ。
それから迷わされずにとどまることは、それ自体が覚醒の境地である!」
「聞きなさい、シュブのパルギー・サンゲよ!
心の覚醒した状態は、多かれ少なかれ、すべての要求から解放されている。
対象を受容あるいは拒絶する主体から、真に、本質的に解放するのだ。
何にも悩まず、完全に妨げられないものであれ。
この状態にとどまることは、それ自体がブッダである!」
「聞きなさい、ドレイの托鉢僧ギャルウェイ・ロドゥよ!
心を熟考すること、観察することはできない。
それは存在と非存在、不変性と消滅を超えた向こう側に存在する。
よって、瞑想者と、対象を瞑想することから解放されるのだ!
あなたがその状態から迷うことなくとどまるならば、
それはブッダのダルマカーヤと呼ばれるものである!」
「ロキー・チュンパよ、この教えを聞きなさい!
知るものと知られることから、あなたの注意を解放せよ。
固定せず、望むことなく、自由にリラックスし、
自己の本質を持たない認識の状態にとどまるのだ。
そこに確固としてとどまることは、それ自体が覚醒の境地である!」