パドマサンバヴァの秘密の教え(120)「瞑想から外れること」
◎瞑想から外れること
二つ目の側面、瞑想において誤った状態に外れるということについても、五つのポイントがある。
瞑想そのものから外れること、
住居と仲間において外れること、
間違った瞑想へと外れること、
心を乱す感情へと外れることである。
☆瞑想そのものから外れること
最初に、瞑想そのものにおいて間違った状態に外れることとは、師が指し示している直接的な実在を弟子が理解し損ねるということである。
すると弟子は、空性と知覚が不可分であるということが解らず、精髄と本性と潜在的力を混同する。
これをさらに説明すると、師の流儀の口頭の教えに従って修習する代わりに、もしあなたが単なる肉体と心の歓喜の感覚に過ぎないものに愛著を覚えたら、あなたは愛欲の領域の神か人間への転生へと外れてしまうだろう。
もしあなたが単なる無思考の境地に執着したら、色界の領域の神になることで外れてしまう。
もしあなたが心が鮮明で無思考な状態に魅了されてしまったら、あなたは純粋な住処の神になることで外れてしまう。
もしあなたが、歓喜に満ちて非概念的であることに執着したら、あなたは愛欲の領域の神になり、外れてしまう。
もしあなたが、空と非概念的であることに魅了されてしまったら、あなたは無形の神になり、外れてしまう。
もしあなたが、感覚的対象の流れを遮断すると、あなたは無限の空間の知覚領域へと外れてしまう。
もしあなたが、深い眠りの場合のように感覚を遮断すると、あなたは全くの無の知覚領域へと外れてしまう。
知覚が未だ鮮明なうちに知覚されたものを遮断すると、あなたは無限の意識の知覚領域へと外れてしまう。
既に継続して何も知覚されていない時に、少しでも歓喜の感覚を持ち続けたら、あなたは存在でも非存在でもない知覚領域に外れてしまう。
これらの状態は、『一方的なサマタに陥ること』と呼ばれていて、あなたが死んだ後、人間・阿修羅・天界を巡り続ける。
ツォギャルよ、輪廻に後退する「馬鹿げた瞑想の修習による逸脱」を切り抜けなさい!
さらには、もしあなたが普通の人たちが見る対象や心を信じるならば、あなたは物質的な凡庸さへと外れてしまう。
もしあなたが、それらを一方的に存在か非存在かと見なすなら、異端の極端主義者の永遠主義あるいはニヒリズムへと外れてしまう。
もしあなたが、対象があなたの心から切り離されて存在すると信じるなら、あなたは声聞か独覚へと外れてしまう。
もしあなたが、知覚が心だと主張するなら、唯識の信奉者へと外れてしまう。
もしあなたが、世界と存在はすべて神々だと信じるなら、あなたはマントラヤーナへと外れてしまう。
これらの誤った状態に外れてしまうことを切り抜ける方法を理解しない瞑想の修習など、何の役に立とうか!
ツォギャルは、
「どうか道から外れることを切り抜ける方法をお与えください。」
と頼んだ。
師は答えられた。
「ツォギャルよ、もしあなたがこのように誤った状態に外れてしまうことを避けたいなら、先ず広範囲に渡って教学を習得し、次に、師から指摘される教えに集中しなさい。最後に、それを瞑想の中で適用する際、上記の道の外れは瞑想の境地への愛著ととらわれ以外の何ものでもないことを理解しなさい。
如何なる種類の一時的な経験を得ていようとも、ただくつろぎなさい。
向上や修正をしようとせず、期待も怖れも持たず、受容も拒絶もせず、何であれあなたがしている経験に留まりなさい。
経験しているものに固着していない時、道を外れる因はない。