パトゥル・リンポチェの生涯と教え(85)
◎パトゥルが大論争をジャッジする
ラマ・ミパムの入菩提行論第九章の解説書「如意宝珠」は、その時代のゲルク派の学者たちから激しい反論を受けた。なぜならそれは、ジェ・ツォンカパのマディヤミカ(中観)の解釈に関するある重要な点をはっきりと批判していたからである。
著名なゲルク派の学者アラク・ドンガクは、パトゥルの弟子であった。そしてまた、著名なラマ・ミパムもパトゥルの弟子であった。
ドンガクはミパムに、マディヤミカについての公開論争を挑んだ。
その学識と超宗派的な見解で有名であったパトゥルは、その論争会の議長を務め、勝者を判定するように頼まれた。
ミパムは、説法、執筆、論争の際によくしていたように、智慧の仏陀マンジュシュリーのミニチュア像を持ってきて、それを自分の前に置いた。ミパムはその像をいつも持ち歩いていた。
論争の間、人々は何か普通ではないことが起こっていることに気づいた――光線がそのマンジュシュリーの小さな像のハートから放たれ始めたのだ。
その光線は、ラマ・ミパムのハートへと差し込んでいき、マンジュシュリーとミパムのハートとハートが繋がったかのようになった。
そのハートからハートへと流れる光は、そこにいたすべての人々がはっきりと確認できるものであった。そしてそれは長い間見え続けたのだった。
論争が終わると、パトゥルは勝者の名を告げるように頼まれた。
パトゥルは論争の勝者を選ぶことを拒み、一言だけコメントした。
「だが、言葉よりもさらに雄弁な何かが起こっていたな。」
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