パトゥル・リンポチェの生涯と教え(84)
◎パトゥルがケンポ・ヨンテン・ギャツォに教えを説く
独房修行中、パトゥルは毎日、ゲマンでナラク・ドントゥク(地獄の底から救い上げる)という名のサーダナーを修行していた。
同様に、パトゥルはケンポ・ヨンガ(ヨンテン・ギャツォ)に、グヒャサマージャ・タントラの二つの主要な解説と、ロンチェンパによる「十方の闇を払う」の解説と、ミンリン・ロチェルの作品の「秘密の主を考えることへの装飾」から数ページ分の教えを説いた。
教えを説き終わったとき、パトゥルはケンポにこう言った。
「今や、あなたはこれらの教えの継承者となった。あなたはこれらを受け継いでいかねばならない。」
ケンポ・ヨンガはこの指示に従ったが、彼がグヒャサマージャの教えを説くときは決まって、彼と多くの弟子たちが病に見舞われ、他にも多くの障害が現われるのだった。
あるときオンポ・テンジン・ノルブは、三人の主要な弟子――ケンポ・ヨンガ、ケンポ・クンペル、ケンポ・シェンガ――が抱いている教えの難解な箇所についての疑問点を明確にするために、彼らをミパム・リンポチェの所へ送った。
ケンポ・ヨンガはミパム・リンポチェに、彼がそのタントラを説いたときに生じた障害について話した。ミパムは、毎回教えを与える前に、サマヤを正すために儀式を行なうことを提案した。
そして同様に、ロンチェンパの六百ページの解説を暗記し、それを唱えるべきだといった。
「そうすれば、あなたはどんな障害をも防ぐことができるようになるでしょう。」
ラマ・ミパムはそう言った。
ゲマン僧院では、グヒャサマージャ・タントラを教える際のこの取り組み方が、破られることのない伝統となった。
その説法会を取り仕切るのは毎回、その長い解説を暗記したケンポであった。彼はそらでそれを唱え、それについて解説するのだった。
中国の文化大革命の間、そのような宗教的活動は、厳しい処罰の脅威の下、厳重に禁じられた。それにもかかわらず、ゲマンのケンポたちは、人里から遠く離れた山の隠遁所で密かに集まり、途切れることなく彼らの伝統を守ることができたのだった。