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パトゥル・リンポチェの生涯と教え(82)

◎自分自身への助言

 花開く蓮華の清らかな花粉のベッドの上の
 白い光の玉座である満月の円盤の上に座し
 神聖なる姿においては、至福と空性の揺ぎなき顕現――
 師ヴァジュラサットヴァよ、唯一の神よ、私はあなたに帰依し奉ります!

 聞きなさい、悪しきカルマで心を乱されているアブ・シュリーよ
 考えてみろ、おまえが如何にして、何度も何度も過ちを繰り返し、時間を無駄にしてきたかを。
 わかっているのか?
 おまえはいまだに、過ちを繰り返している、だから気を付けろ!

 正しくない、何の意味もない人生を送ることをやめよ。
 おまえの心の策略をやめなさい!
 そして、必要のない果てなき計画を放棄しなさい!

 絶対に実現しないいくつもの考え
 絶え間なく心を乱す活動
 それらの重荷で、立ち眩みを起こしてはいけない。
 それらは、水の上の波に過ぎないのだ。
 つべこべ言わずに、黙っていなさい。

 おまえは、何も理解せずに何百もの教えを聞いた。
 それに何の意味がある?
 それらをじっくりと考えても、必要なときに全部忘れているではないか。
 全く役に立っていないではないか!
 おまえは瞑想するが、それでおまえの感情は矯正されていない。
 そんなもの、捨ててしまえ!

 おまえは多くのマントラを唱えてきた。
 しかし、おまえはその生起次第を極めていない。
 おまえは、神々を有形の実体あるものとして観想しているが
 二元性から解放されていない。  
 
 おまえは悪魔を調御したようだが
 自分の心を調御していない。
 だから、おまえが几帳面に設けている、四座の読誦の時間
 そんなもの、投げ捨ててしまえ!

 高められると、心は非常にクリアに見える。
 しかし、それは安らぎの境地にあるわけではない。
 下に落ちていると、心は非常に安定しているように見える。
 しかし、それは光明を欠いている。

 おまえの意識は、揺るぎないもののように見えるが
 実際、”安定”とは何なのだ? おまえの概念ではないか!
 だから、そのポイントへの集中をやめるがよい。
 そして、そこをじっと見つめることをやめなさい。

 おまえの激しい熱意は、澄んだ意識のように見える。
 しかし、それはただ単に、おまえの偏見を強めているだけだ。
 おまえのその貪欲な心をはねのけなさい。
 そして、おまえのその確固とした執着を放棄しなさい。
 それは、地面に刺さっている杭のように、突き刺さっている。
 
 おまえの言葉は甘味に見える。
 しかし、それはおまえの心を助けれはくれない。
 おまえの論理は鋭く見える。
 しかしそれは、迷妄を助長させているだけだ。

 これらの教えは、深淵であるように見える。
 しかしおまえは、それらを実践に移さない。
 だから、本を読むことをやめよ。
 それは、おまえの心をかき乱し、おまえの目を疲れさせる!

 おまえは、小さな太鼓を「トム! トム!」と鳴らす。
 それはただ、自己顕示をするために騒音を立てているに過ぎない。
 おまえは「私の肉を持って行ってください! 私の血を持って行ってください!」と唱えるかもしれないが、
 それらを大事にし続けている。

 おまえは、「ディン! ディン!」とシンバルを鳴らすかもしれない。
 しかし、おまえは集中していない。
 だから、そのしゃれた道具を捨てなさい。
 それはただ、見栄えがいいだけだ!

 今日、弟子たちが学ぶことを望んでも
 結局最後には、諦めてしまう。
 今日、弟子たちが理解をしたように見えても
 しばらくたつと、元の木阿弥。
 彼らは百個のことを学ぶかもしれないが
 それらを心に適用させることをしない。
 だから、非常に大切なもののように思えるそのような弟子を
 捨ててしまいなさい!

 今年、弟子たちは非常に思いやりがあるように見える。
 来年は何の変化も起こらない。
 彼らは非常に謙虚に見えるが、すぐに高慢となる。
 おまえが優しい愛情で扱えば扱うほど
 彼らはどんどん道からそれていく。
 新しい友人に心を躍らすことをやめなさい。
 その微笑んでいる親友を放棄しなさい。

・・・・・・・・・・・・

 果てしのないおしゃべりは
 執着と嫌悪の因となる。
 おまえが驚きや同意を表現しても
 それは本当は、他人の悪口を言っていることになっているかもしれない。
 
 おまえが聞こえの良いことを言っても
 他の人は怒りを覚えるかもしれない。
 だから、ゴシップをやめなさい。
 それは単に、お前の口をドライにするだけだ!
 
 個人的な経験の伴わない教えは
 本からダンスを学んでいるようなもの。
 たとえ聴聞者たちが、信仰心を持っておまえの話を聞いていても
 おまえの立場からすると、それは悪意なき欺き。
 
 もし教えに背いたら、
 遅かれ早かれ、お前は自分を恥じるだろう。
 だから、立派な美辞麗句で繕った
 そのような説法はやめなさい!

 持っていないと、必要だと思い
 ひとたび得ると、それは役に立たない。
 書くべきページ数は多くはないが
 ひとたび書き始めると、止まらなくなる。
 大地を覆いつくすほど書いても物足りない。
 この執筆をすべて、諦めなさい。それは無駄だ。

 今日は幸福感を味わい
 明日は怒る
 人々は、ムードの変化の犠牲となっている。
 彼らは決して、満足することがない。
 彼らがおまえの近くにいるときでさえ、おまえが彼らを必要とすると、役に立たない。
 そしておまえを失望させる。
 だから、お世辞、ごますり、へつらいをやめよ!
 
 宗教的そして世俗的な事柄を取り扱う人々がいる。
 そのような仲間を慕ってはいらないぞ、老人アブ!
 おまえは、堅実な老いたバッファローが
 心の底では、ただ眠りたくて仕方がないことを知らないのか?
 おまえは、食べて、寝て、糞をしなければ、生きていけない。
 その他のことで時間を無駄にするな。
 それはおまえの仕事ではない。
 自分のキャパシティ内のことをやりなさい。
 人里離れた地で、静かに暮らしなさい!
 とにかく、すべてを放棄しなさい!
 それがエッセンスである!

 これは、ヨーギー・ティメ・ロドゥ(パトゥル・リンポチェ)によって、彼の近しい友人アブ・シュリー(実際はパトゥル・リンポチェ自身)に対して書かれた助言であり、「修行をする必要がある」といういくつかの適切な勧告が記してある。そして、たとえ修行をすることができないとしても、エッセンスは、「すべてを放棄すること」である。これで、仮に教えの成果が得られなかったとしても、困ったりすることはあるまい!

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