パトゥル・リンポチェの生涯と教え(56)
◎パトゥルが老人の死体を見て笑う
あるときパトゥルはディチュン洞窟の近くでグヒャガルバ・タントラの教えを説いていた。弟子たちの中に、そのすぐ近くの遊牧民の野営地で暮らしていた老人がいた。彼は毎日かかさず教えの集いに参加していた。教えをを受けるためには、彼は遊牧民の野営地からド川を渡らなければならなかった。川は歩いて渡るには深すぎたため、老人は朝、ヤクの背に乗って川を渡り、教えを受けた後、夕方に同じようにして帰っていった。
カム地方ではよく起きることなのだが、ある日、突然上流で降った豪雨により、川が氾濫した。それはちょうど、老人が川の真ん中にいるときであった。老人は思いきり叩きつけられ、激しい流れによって、下流に押し流されてしまった。
老人の身内は彼の死体を見つけ、パトゥルのところに運び、仰向けに彼を寝かせた。
「可哀そうな老人よ。」
パトゥルは首を振りながら言った。
「教えを聞きに来る途中で死んでしまったのだな。」
カム地方の遊牧民は、溺死を非常に不吉なものとみなす。溺死した人々は、確実に悪趣に生まれ変わると信じられている。
老人の未亡人と身内たちは、耐えきれずに涙を流していた。
「どうか……」
悲嘆にくれた未亡人がパトゥルに懇願した。
「慈悲深く夫を包み込んでやってください!」
「彼のために、素晴らしい祈りを唱えましょう。」
パトゥルはそう言った。
パトゥルと弟子たちは、死者の意識を移し変えるポワの儀式の祈りを唱え始めた。彼らが祈りを唱え始めると、霞がかった虹色の雲が現われ、穏やかな霧雨が降り始めた。――これはチベットでは「花の雨」と呼ばれている。
パトゥルは空を見上げた。そして顔を下ろして老人の死体を見つめ、笑い出した。まだ儀式は半分の工程しか終わっていなかったが、パトゥルは祈りを唱えるのを止めた。他のラマや僧や弟子たちは、パトゥル抜きで儀式を為し終えた。誰もあえて、パトゥルのその普通ではない振舞いの理由を聞く者はいなかった。
数日後、ある弟子が勇気を出して、パトゥルに尋ねてみた。
「アブさん、どうして老人の死体を見て笑ったのですか? 皆が、あなたの教えの要点は慈悲であるということを知っております。あの老人は、あなたのお慈悲に与かるだけの資格がなかったのでしょうか?」
「もちろん、そんなことはない!」
パトゥルは言った。
「ただ、笑いをこらえることができなかっただけさ!」
「何をですか?」
「大変な悲しみを感じながら、わたしは、彼が天界に生まれ変わることができるようにと祈りを捧げていた。」
パトゥルは答えた。
「そうしたら突然、彼が三十三天の天人として転生したヴィジョンが見えたのだ! わたしは、彼が天人たちに、なぜ自分が天界に転生することができたのかと聞いている声を聞いた。天人たちは、それは彼がグヒャガルバの教えを受け、一心に純粋な信をもってそれを実践していたからだ、と答えていた。教えを与えてくれた感謝の気持ちとして、老人がこの花の雨を降らしてくれたのだ!」
そこにいた全員が、穏やかな雨を身に浴び、空が霞がかった虹色の雲で満たされているのを見た。
「それを知って、わたしはこの灰色の髪の死体を見下ろした。すると、老人の妻が『夫が地獄へ行ってしまった』と言って泣いているではないか。この矛盾があまりにも大きすぎて、つい笑ってしまったというわけさ。本当に、輪廻の幻影というものは驚くべきものだ! まるで魔術師が現わした幻だよ! わたしが笑っているのを見て、みんなは少し不審がっておった。でもわたしは、老人がすでに天人になっているというのにみんなが泣いている様子を見て、皆のことを奇妙に思っていた!」
この頃、パトゥルはゾクチェン僧院周辺の地帯に戻り、ゾクチェン僧院のシュリー・シンハ大学の五代目僧院長に就任していた。そことパドメー・タンのナクチュンの庵などで、何年も、入菩提行論、大乗荘厳経論、アビダルマ・コーシャ、ヨンテン・ゾ、ドムスン・ナムゲなどの経典を説いたのだった。