パトゥル・リンポチェの生涯と教え(42)
◎パトゥル、親族間の抗争を鎮める
激しい親族間の抗争が、ゴロクにあるマルコクの隣接した谷に住む二つの獰猛な遊牧民族の間に勃発した。それを聞いてパトゥルは、二つの谷を隔てている山の尾根にある峠に登っていった。パトゥルは、狭い道の真ん中の土の上で仰向けに寝転び、誰とも口をきかずに、自分の小さな鞄を枕にして、寝たふりをしていた。その道を通って峠を越えようと思う者たちは、彼の体をまたがなけばならなかった。チベットの伝統では、どんなときでも人様の体をまたぐのは非常に失礼なことであり、靴を履いてまたぐなどもっての外である。パトゥルがこのように身体を横たえているせいで、旅人たちは皆、失礼な行為を行なわなくてはならなくなり、腹を立てた。ただでさえ彼らはもともと頑固で怒りっぽいというのに、みすぼらしい放浪者は道のど真ん中に寝転び、皆の通行の邪魔をしていたのである。
数日間、パトゥルは地面に寝転んでいた。行き来する人々がこの見知らぬ放浪者に絶え間ない罵倒を浴びせてくる中、パトゥルはずっと菩提心、慈悲、慈愛を瞑想していた。また罵倒を浴びせられている間、パトゥルは旅人たちのために、彼らの心を乱すような悪しき感情がただちに静まるようにと祈った。
最終的に、親族間の抗争に関わっているすべての人たちが、最低一回は、パトゥルの体をまたいでその道を通って行った。そしてまるで奇跡が起こったかのように、遊牧民の部族の間で突然抗争の解決が起こり、協定が結ばれ、それ以上血が流れることを避けることができたのだった。
あるときはパトゥルは、セルタの遊牧民地区ワシュルの地域指導者トプキャの懇願で、入菩提行論、ソンツェン・ガンポ王によるマニ・カフブムなどの経典を説きに、セルタに行った。
パトゥルの慈悲についての説法を聞いた後、セルタの人々は、食用のために動物を屠殺することをやめようという気持ちになった。猟師は猟をやめ、盗賊は強盗をやめた。誰もパトゥルの助言に背こうという思いがなかったので、この地の人々の行ないは著しく改善された。
パトゥルの説法は、マルコクの地全域にダルマの雨を降らせた。パトゥルには、全く教養がない人々の中にさえも解脱の種を撒く力があった。
パトゥルの慈悲の抗しがたい力が、荒々しい部族軍長、追剥のかしら、そしてそのときまでダルマにまったく信を持っておらず、善行を避け、見境のない暴行にふけっていた無数の人々たちの心を変えた。
パトゥルは同様に、ゴロクのマロンにある危険な渓谷でも教えを説いた。この地の人々は誰も、今まで祈り用の数珠というものを、見たことも聞いたこともなく、その使い方も知らなかった。パトゥルは、この地の人々全員に、アヴァローキテーシュヴァラ(観音様)の六音節マントラ(オーム・マニ・パドメー・フーム)の唱え方と、それを唱える理由を教えた。
それからパトゥルは大きな杜松の木々が立ち並ぶ丘の傾斜に位置するシュクチェン・タゴに行き、一年あまりそこに滞在した。
シュクチェン・タゴには、ドゥドゥプ・ティンレー・ウーセルによって建立された最初の小さな僧院があった。そこには図書館があり、少数の僧が住んでいた。そのほとんど独居生活に近い環境は、パトゥルが学び、瞑想するのに理想的な場所であった。そこには、パトゥルの系統の最も重要な師であるドゥドゥプチェン一世の座もあった。
その図書館で、パトゥルは一年を費やして、カンギュールの一〇三巻にも渡るトリピタカ(三蔵)をすべて、最初から最後まで三回読んだ。彼の読み方は、一ページを読み、それに礼拝する――これを三回繰り返す、というものだった。
彼の記憶力は並外れており、この三回繰り返す方法の教学をした後は、その内容のほとんどを明確に覚えており、記憶の中から多くのトリピタカの詩句を引用できたのであった。
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