パトゥル・リンポチェの生涯と教え(122)
◎ケンポ・コンチョク・ドンメがパトゥルに会おうと試みる
ケンポ・コンチョク・ドンメは、パトゥルがもう訪問者を受け入れておらず、人々が面会を強く希望しても、”見事な”叱責を返してくるということを耳にした。しかし、パトゥルがどんなに叱責しても、皆の信と尊敬は増大するばかりであった。ケンポは、無理と分かっていながらも、どうしても教えを乞うてみたかった――せめて、一度挑戦してみたかった。
パトゥルはそのとき、巨大な遊牧民の野営地の一方の端に立てられた小さなテントで暮らしていた。ケンポは、その野営地が、多くの遊牧民の野営地のように、番犬によって守られているということをよく分かっていた。その番犬は非常に獰猛で、夜間は鎖を外されて、自由に歩き回り、侵入者から野営地を守っていた。
だがケンポは、番犬たちに襲われるかもしれないと知っても、思いとどまることはなかった。彼はベストを尽くそうと心に決めていたのだった。
ある晩、ネズミのように静かに、豪胆なケンポは、長くて幅の狭いクレーターをなんとかよじ登った。それは、誰も――犬も人間も――彼を確認することができない角度にあった。この長いクレーターは、パトゥルのちいさな黒いヤクの毛のテントのすぐ近くまで続いていたのだ。
ケンポはパトゥルのテントの上のところまで来ると、わずかな傾斜を滑り降り、パトゥルのテントに滑り込んだ。ケンポが入ってくると、パトゥルはその物音を聞いて、叫んだ。
「おい! おまえは泥棒か?」
「はい! 泥棒です!」
ケンポは言った。
「わたしは泥棒です。あなたの智慧を盗みに来ました!」
単刀直入で豪胆であったパトゥルは、その性質を他者の中にも認めることができた。
かくして、大胆不敵なケンポは、パトゥルから猛烈な叱責ではなく、彼が望んでいた瞑想の教えを受けることができたのだった。
一八八四年、デルゲの王の母が、パトゥル・リンポチェに会うためにマモ・タンに行った。パトゥルは、彼女と彼女の数千人のお付きに、純粋なる国(西方のアミターバの偉大なる至福の浄土スカーヴァティに生まれ変わるための祈り)を成就するための教えと、マニ・カフブムの教えを与えた。
その後、人々は金、銀などの高価な品を布施したが、パトゥルはそれらを拒んで、返したのだった。
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