バクティの精髄(24)
◎ヴァッツァーリヤ・バーヴァ
ここにおいて献身者は、神を自分の息子と感じる。
ここにおける献身者と神の関係は、親子の関係である。
我が子への愛が、このようにして神へと向けられる。
神の君主性が、息子への愛情へと昇華される。
神は主人ではなく、息子なのだ。
だいたいにおいて、献身者側のこの種のフィーリングというのは、神の絶対的な性質という概念を脇へどけておく。
献身者は、このヴァッツァーリヤ・ラサ(親子の関係)を培うことにおいて、神の偉大なる栄光を忘れがちになる。この献身者は、息子としての神という概念に非常に執着しているので、神が至高なる姿で前に現れても、「彼は唯一の息子である」という発想を捨てることはできないのだ。
神の恩寵に触れてのみ、彼らは、神の絶対性の意識へと向かうことができるのだ。
神は本当に慈悲深い。ゆえに彼はそうしてくださるだろう。
女性は、このラサによって、乳房から母乳がでるであろう。
精神的な感情が、物理的な肉体に直接的に作用する。
人は、猛烈に思うものに、瞬く間に、確実になるのだ。