バクティの精髄(20)
◎サキャ
サキャ・バーヴァとは、神と友人としての関係を培うことである。
ヴラジャの牛飼いナンダとその仲間たちは、主クリシュナとの間にこのバクティを培った。
またアルジュナも、この種のバクティを培った。
バーガヴァタにはこう説かれている。
「ああ、絶対の至福である、完璧なる永遠なるブラフマンを愛しい友とした牛飼いナンダのヴラジャの人々は、何という素晴らしい幸運にあずかったものだろうか!」
人は一般的に親友や家族のことが好きであり、それらをまるで自分自身であるかのように見なす。
そこで、常に主と共にあるために、彼を自分の家族あるいは親友であると見なすのが、バクティの道におけるサキャ・バーヴァなのである。
サキャ・バーヴァの態度を取る献身者は、主への熱烈な愛のために、他のどんなに重要で緊急な作業や出来事でさえ考慮されなくなる。自分に関することは軽視するようになり、ただ主への愛から、主に関することのみに心が向かうようになる。
真の友情とは何か? それは無私にして無量なる愛である。もしそのような友情を持つ者がいれば、その愛は、人への愛から神への愛と進化する。
このサキャ・バーヴァの中で主と共に遊ぶ献身者たちは、主の永遠なる世界の中において、平凡な日々を経験する。
主が超人的な奇跡を見せても、献身者たちは何とも思わない。ただ愛する存在がいつものように自分と共に楽しい日々を送っていると見るだけである。
そして献身者は常に、あらゆる点で彼を喜ばせたいと考えている。
さらには献身者は、すべてを神と見るようになり――それによって、あらゆる衆生、すべての世界を、自分の親友と見なすようになる。そうして彼には自己本位の心がなくなり、誰に対しても憎しみや嫌悪などを持つことがなくなる。
彼は、すべてを愛するようになる。なぜなら、すべては彼の親友だからである。
すべては神である。
そして神は、彼の親友である。
よって、すべては彼の親友なのである。
彼は、神から与えられたものに、常に満足している。
どんなかたちでも神に奉仕できるなら、彼にとって最高の喜びである。
彼は、常に神がおそばにいらっしゃり、すべては神の所有物であると感じている。
彼は神を、威厳のある、恐ろしい、智慧ある監督者であるとはみなさない。そうではなく、常に自分と共にある、愛しい友であるとみなすのである。
彼は神を見ることを切望し、また決して主のおそばから一瞬でも去りたくないと思う。
彼はこう言う。
「主よ! 最愛の御方よ! 私はあなたなしでは生きていくことができません。
親愛なる御方よ! あなたはどこにいらっしゃるのですか!?」
そして彼は、主の愛らしさへの愛にわれを忘れるのである。
彼自身と彼の所有物は、それがただ神への奉仕に役に立つ場合にのみ、意味があると考える。なぜなら彼は、神なしでは生きることができないからである。彼にとって、神なしで生きることはありえないのである。
神は内に秘めた、最愛の友達である。
すべての一般的な友人は、自分を見捨てることもあるかもしれない。
しかし神は、主の献身者を決して見捨てることはない。
たとえあなたが彼を好きではないとしても、彼はあなたを愛している。
主を見ること、触れること、そして主の愛らしさについて考えることだけでも、献身者は歓喜の海の中に溶け込む。
そして単に主の御名を聞くだけでも、献身者の愛に火がつけられる。
彼は至福の中で、神の栄光を歌う。
誰かが主のメッセージを運んでくると、彼は歓喜で圧倒される。
彼は永遠に主と共にありたいと思っているため、主から離れると強烈な苦悶を感じる。
彼はずっと主にお会いできることを心待ちにしている。
これらは、サキャ・バーヴァに没入したバクタにあらわれる特徴のうちのいくつかのものである。
ヴィビーシャナ、スグリーヴァ、ウッダヴァ、アルジュナ、シュリーダーマ、そしてヴラジャの主の遊び友達などは、バクティのサキャ・バーヴァを養った献身者たちの例である。