ニティヤーナンダの生涯(2)
◎出生と子供時代
ヴィラブーマ地方のエーカチャクラ村に、ハダイ・パンディトという名のシャンディリヤ・ゴートラのブラーフミンが住んでいました。
ハダイ・パンディトはシャーストラに精通し、素晴らしいバクタでもありました。
彼の妻のパドマヴァティーも、敬虔なバクタでした。
彼らは、息子を授かっていないということ以外には、あらゆる点で幸福でした。
パドマヴァティーは、息子が欲しいがために、たびたび主に祈り、供物を捧げて、断食をしました。
ある夜、背が高く、輝く体を持ち、長いドレッドヘア(ジャータ)をしたマハートマが、夢の中で彼女の前に現われて、こう言いました。
「心配はいらない。あなたはすぐに、無限のシャクティーを備え、幾千もの罪人たちを束縛から救済するマハープルシャを息子として授かるだろう。」
そして、その予言は現実のものとなったのでした。
1473年のマーガ・シュクラ・トラヨーダシー(マーガ月、上弦の月の13日目)の日に、彼女に息子が生まれました。
彼はクベーラと名付けられました。
このクベーラが後に、ニティヤーナンダと呼ばれるようになったのでした。
この子供の体は黄金色で、その美しさは比類なきものでした。
彼の眼や顔を見ると、まるで超越的な至福が彼の心を支配しているかのように思えました。
彼は大きくなるにつれて、人間ではなく、神であるかのように見えるようになりました。
彼は普通の子供のようには遊ばず、同年代の子供たちを集めては、クリシュナリーラーごっこやラーマリーラーごっこなど、さまざまなアヴァターラの物語を演じて遊びました。
一緒に遊んだ子供たちはある日、彼のバララーマとしての真の性質を垣間見ました。
ラーマリーラーごっこで、彼がラクシュマナの役をやっているときに、彼は強烈な矢を受けて気絶するというシーンに完全に没頭してしまったのでした。
そのとき彼は、数時間気絶したままでした。
これを聞いて、彼の両親は非常に心配になりましたが、ハヌマーン役の子が、ラーマ役の子の命令でサンジーヴァニ・ブーティ(生命を蘇らせる薬草)を持ってくる場面を演じるや否や、彼は意識を取り戻したのでした。
偉大なるパンディトの息子は、そのパンディトのようにシャーストラに精通するようになることが必須です。
ゆえにハダイ・パンディトは、クベーラをサンクスリットを学ぶ学校に入れました。
そこの教師たちは、彼の鋭い知性や驚くべき記憶力を見て、驚愕しました。
そして12歳で、彼はヴィヤカルナ(サンスクリットの文法)とニヤーヤ(論法)を習得したのでした。
パンディトたちは、彼の達成を非常に喜び、彼にニヤーヤ・チューダマニ(ニヤーヤの羽飾りの宝石)という称号を与えて、彼を称えたのでした。
-
前の記事
解説・心の訓練(46)「常に心に喜びだけを」 -
次の記事
「ヴィヴェーカーナンダ」(15)