ド・キェンツェー・イェシェー・ドルジェの生涯(11)
ドドゥプチェンが老齢であり、彼から完全な教えを受け取ることが非常に重要となったため、ディクン・トゥルクは悲しみながらもド・キェンツェーが当分の間カムに戻ることを許さざる得なくなりました。
彼と彼の一団がカムの西部に着いたとき、彼らはもっと急いで来るようにというドドゥプチェンからの伝言を受け取りました。主要な一団とともにディクンやデゲの代表者たちを後ろに残し、ド・キェンツェーと十人の付き添いは、ツァチュカのギェルウェ・ニュクの隠遁所で一日休養を取った以外、休むことなく馬を急ぎ走らせました。
数日後、火の鳥(酉)の年(1816年)の第7の月の10日、ド・キェンツェーは、ヤルルン・ペマコにいるドドゥプチェンのもとに着きました。ドドゥプチェンはこう言いました。
「私は多くの予言的な夢を見たし、また健康も優れない。しかし、私の生命に対する妨害は、眼がうまく見えないことを除けば、ドーパ・カムキ・ワンチュンマの力によって、しばらくの間防がれている。また、冬のあいだカトク僧院へ行って、ゲツェ・マハーパンディタから、それからシンキョン・トゥルクからもいくつかの必要な教えを受け取るようにしなさい。私は死ぬ前に、あなたが必要な教えを完成させる姿を見たいのだ。」
ド・キェンツェーはツァルンやグヒャガルバ・タントラの教えに関するさらに多くの解説と指導を受けました。
カトクにおいて、ド・キェンツェーはゲツェ・マハーパンディタから多くのイニシエーション、教え、ならびに訓練を受け、その中には、15日間にわたるドゥーパ・ドの複雑なイニシエーションや、その他のカマやテルマの伝授も含まれていました。ゲツェはこう言いました。
「前世のキェンツェー(ジグメ・リンパ)によって予言されたように、カトク僧院にはロンチェン・ニンティクの系統を保持する使命がある。だから将来、あなたは[カトク僧院とロンチェン・ニンティク]両方の伝統をともに混ぜ合わせることによってダルマに仕えるべきである。」