ド・キェンツェー・イェシェー・ドルジェの生涯(6)
1810年、彼は、サムイェー、チンプー、デンサティル、サン・リ、カルマル、ならびにヤルルンを抜け、ツェリン・ジョンを訪れ、そしてペリ、シェルタク、ならびにヤマ・ルンを抜け、ディクン・ゾンサルに戻ってきました。彼はこう記しています。
「シェルタクの洞窟の中で、自分と似た姿をしたグル・リンポチェの心臓から光線が放たれ、私の心臓に触れました。私はしばらくの間、言い表せない、原初的に純粋で生来的な覚醒の中にいる経験をしたように感じました。しかしその時は、実際に何が起こっているのかは分りませんでした。」
ヤマルンで、彼はジグメ・リンパの主要な弟子の一人であるロンチェン・ロルパツァルに会い、長寿のイニシエーションを授かりました。
1811年、彼の父と他の者たちがゴロクから戻り、会いに来るようにというドドゥプチェンからの伝言を伝えました。ド・キェンツェーはラサへ行き、政府からカムに戻るための許可を受け取りました。彼はチベットの新しい摂政のテモ・トゥプテン・ジグメ(1819年死去)から、ケンポの帽子と衣服を授けられ、ケンポとして認められました。
1812年、彼はヤルルン・ペマコに戻る途中、自分の母と妹に再会しました。