ドドゥプチェン・ジグメ・ティンレ・オーセル1世の生涯(2)
6歳か7歳の頃、彼は貧困、病、老齢、および死の苦しみを見、そして思い出しました。そのために彼の小さなハートは耐えがたい悲しみでいっぱいになり、小さな顔はいつも涙で濡れていました。
7歳の時、彼の両親は彼をラマである叔父のもとへ預け、チベット語と経典を学ばせました。彼は、他の者が何度も繰り返してようやく覚えるような祈りの言葉を、1回教わると口にすることができました。ドドゥプチェンは、過去生において何度も偉大な成就者として生まれていたにもかかわらず、若い頃は、自分がトゥルクであるとは思っていませんでした。このようにして、彼はチベットで普通の生徒が行なうように、勉学に励む機会を与えられました。
10歳の時、彼はいくつかのテルの教えを口にしましたが、誰もそれらを重要なものと見なさなかったため、どれも残りませんでした。彼は、彼に教えと祝福を授け、来るべきどんな危険をも警告してくれる成就者たちのヴィジョンや夢を数え切れないほど見ました。それでも、彼の心は常に慈悲の思いで満ちあふれていたので、両親が気付かないところで、彼は人々が経験している苦しみをひどく嘆き、少なくとも祈りの言葉を唱えることによって、彼らを救おうと思うのでした。
彼は誰に対しても、彼を傷つけようとする人に対してさえ、悪しき心を決して向けませんでした。彼は常に率直に、大胆に、そして力強く、自分の考えを述べました。彼は、寛容かつエネルギッシュに、他者の人生を向上させるための行いに身を捧げました。
14歳の時、彼はペルユル系統のゴチェン僧院に入り、シェーラプ・リンチェンから、彼が亡くなるまで教えを受けました。シェーラプ・リンチェンは、ぺルユル系統の創始者クンサン・シェーラプとともに学んだぺマ・ルンドゥプ・ギャツォ(1660-1727)の生徒でした。シェーラプ・リンチェンは、彼にソナム・チョデンという法名を与えました。彼は多くの教え、主にゾクチェンとツァルンを学び、瞑想し、そして様々な読誦と修行を成就しました。しかし、神秘的な経験において、すでに経験していたものを超える進歩はほとんどありませんでした。
21歳の時、ドドゥプチェンは6人の僧侶とともに、デゲを通って中央チベットへ向かいました。その途中、彼はデゲのパルプン僧院でシトゥ・チョキィ・ジュンネ(1700-1774)から教えを受け取りました。
最終的に彼らは、ミラレーパの主要な弟子ガンポパ(1079-1153)の総本山であるタクラ・ガンポに到着しました。タクラ・ガンポにおいて、ガンポパ・ジャムパル・ティンレ・ワンポ5世(ミパム・ワンポ、1757-?)は、ドドゥプチェンをソナム・チョデンと名づけました。
ガンポパ・サンポ・ドルジェの弟子である師タムチョ・ワンチュクとともに、ドドゥプチェンは、ンゴンド、チャクチェン・チョクドゥク、またタクポとサツォン両方の系統のポワ、ならびに他の多くの教えを学びました。
その後、彼は、チベットで最も神聖な場所の一つであるツァリへ巡礼に行きました。それは多くの肉体的な困難を伴うものでした。そこで目にしたヴィジョンの中で、彼は、女性の姿をしたブッダであるヴァジュラヴァーラーヒーの祝福を受けました。すぐさま、彼が巡礼中に経験していた一切の声、恐れ、ならびに困難は、大いなる歓喜の経験に変わり、彼は大変な幸福を感じ、満たされました。