ドッキネッショルの寺院で信者たちと共に(3)
【ラーマのおぼしめし】
シュリー・ラーマクリシュナ「またなんで、お前にこんなことを聞いたりするのかな。この私の中に、誰かがおられて、彼が私を通じて一切のことをなさるのだ。ときには私は神のような気分になって、礼拝されていないと心が落ち着かなかったり――。
私は道具、あのお方が使い手。あのお方がさせるとおりに私はする。言わせる通りに私は言う。
ラームプラサードが歌っているが――
命の海にわれありて
波のまにまに浮き沈み
潮の満ち引きに行き還り
大風が吹くと、木の葉はときによって良い場所に飛んで行って落ちたり、またときによってはみじめな場所に落ちたりする。風の吹くまま受けて行くのさ!
あの物語の中で機織りが言っているように、『ラーマのおぼしめしによって盗みが行われました。ラーマのおぼしめしによって私は警察に引っ張られました。そしてまた、ラーマのおぼしめしによって釈放されました』というわけだ。
ハヌマーンがあるときラーマに言った、『おおラーマ、私はあなたのもとに避難いたしました。守りたまえ、守りたまえ。あなたの蓮華の御足に、純粋なバクティが持てるように――。そして、あなたの世を魅了するマーヤーのとりこになりませんように』と。
あるとき、死にかけているウシガエルがラーマに言った、『おおラーマ、蛇にとらえられたときには、私はあなたのご加護を求めて鳴きます。しかし今は、ラーマの矢に当たって死ぬところだから、私は黙って何も言わない』とね。
私は神を、ちょうどお前たちを見るように、以前はじかに見たものだ。今は法悦状態のとき、あのお方が見える。
神様をつかむと、子供のような性質になる。どんなことでも深く思うとそれが実現する。神様の性質は子供の性質に似ている。子供がおもちゃの家を作ってまたそれを壊すように、あのお方もあんな具合に、創造、維持、破壊をなさる。子供はどのグナの支配も受けていないが――あのお方もサットヴァ、ラジャス、タマスという三つのグナを超えていらっしゃる。
だから、パラマハンサたちは五人か十人の子供たちをかたわらに置くのだ。彼らの性質を身につけるためにね。」