トラ・ジグメ・ケルサンの生涯
トラ・ジグメ・ケルサンは、偉大なる瞑想者かつ学者であり、菩薩であった。彼はカムとアムドにロンチェン・ニンティクの教えを広めた。また彼はチョーキ・ロドゥとショヌ・イェシェー・ドルジェとしても知られていた。
かつて、マ河河畔の洞窟にて、彼は隔離された場所でヴァジュラキーラの修行を行なうために三年間の独居修行にこもった。彼が修行にこもったまさに最初の夜に、巡礼者がジグメ・ケルサンのいる洞窟の扉をたたいた。手太鼓とベルを鳴らしながら、巡礼者はカンド・ケギャン、チョの典礼を唱えていた。ジグメ・ケルサンは洞窟の中でその詠唱を耳にし、その深い意味と美しい楽曲に非常に感動し、翌朝、その巡礼者に会うために隠遁所から出ざるを得なくなった。
彼は誰がそのチョの典礼を書いたのかを尋ね、それがジグメ・リンパによってテルとして発見されたもので、彼はすでにこの世を去ったことを知った。
ジグメ・ケルサンが、ジグメ・リンパの主要な弟子たちはまだどこかで生きているのかと尋ねると、巡礼者は、その偉大な弟子、ドドゥプチェン・リンポチェは生きていて、ゴロクで教えていると答えた。
ドドゥプチェンのジグメ・ティンレ・ウーセルという名前を聞いたとたん、彼はジグメ・ケルサンとカルマ的つながりのあるグルであったので、ジグメ・ケルサンは不変の思慕の念に駆られ、彼に会うためにすぐさまその場所を発った。
そしてドドゥプチェンに会ったジグメ・ケルサンは、ロンチェン・ニンティクの一般と特別の教えを授かり、ロンチェン・ニンティクの系統保持者の一人となった。
ジグメ・ケルサンはパトゥル・リンポチェをゾクチェン僧院のペルゲ・ラマのトゥルク(転生者)だと見抜き、そして後にドドゥプチェン一世もそれを認めた。
ドドゥプチェンの生涯最後の年のあいだ、ドドゥプチェンはイニシエーションと教えの伝授を授け、そしてジグメ・ケルサンはドドゥプチェンのために経典を読誦した。また、ドドゥプチェンが彼の隠遁所を離れることがなかったので、ジグメ・ケルサンはテゲやアムドにおいて彼の代わりにロンチェン・ニンティクやドドゥプチェン系統のその他の数多くのニンマの伝授を広めた。
ジグメ・ケルサンはニンマ・タントラとニンティクの教えを、カトク、ゾクチェン、シェチェン僧院にいる多くの重要なラマたちに伝え、そして人生の後半において、彼はアムドおいて、また青い湖地域のモンゴル人たちのあいだに教えを広めた。
ジグメ・ギャレ・ニュクは1816-15年にこう記している。
「偉大なるラマであるジグメ・ケルサン、つまり偉大なる父ドドゥプチェンの最終的な後見人であり、かつ学識と成就の達人が、ダルマに仕えるためにツァチュカに到着した。私は彼を隠遁所に招き、イニシエーションを受けた。」
再度、1820年に彼はこう記している。
「学識と成就の達人であるジグメ・ケルサンが中国訪問からの帰りにツァチュカを訪れたので、多くの供物を手に、私は彼を出迎えに行った。」
彼の生涯の最後、彼が中国のある街を一人で歩いているとき、ある盗賊が、内側から火によって熱せられた赤銅製の馬に乗せられ、火刑にかけられそうになっているのを目にした。その盗賊は、助けを求めて叫び声を上げていた。
それを見て大いなる慈悲を感じ、トラ・ジグメ・ケルサンは死刑執行人に、その囚人は無実で、自分こそが本当の盗賊なのだと話した。
彼の弟子が彼を見つけたときには時すでに遅く、彼はその盗賊の代わりに死刑にかけられていた。
このようにして、彼は自分の命を見知らぬ通りで苦しんでいる見知らぬ人の身代わりにするという菩薩としての実践を示して、その生涯を終えた。