スワミ・プレーマーナンダの教え(6)
この世界は、相対的な世界だ。ごく小さな喜びや苦痛に狼狽してはいけない。状況の変化は神のご意思であり、すべてはわたしたちの幸福のために起こっているのだという真理を、たびたび自分自身に納得させなさい。
あなたの為したことやあらゆる善は、神の御力であり、あなたは彼の御手の中のただの道具なのだということを信じなさい。
あなたが為す行為を、仕事として考えてはならない。それを非利己的に為すように努力し、結果は求めてはならない。それが束縛を破壊するだろう。
全く同一の薬が、それとともにある要因によって、異なった結果をもたらすのだ。
それゆえに、仕事はある意味では束縛であるが、もしそれが私心なき手段として、神への献身の心をもって行なうことができるなら、その同じ仕事が、あなたに信仰と解脱を与える。
もしあなたがあなたの目を、評判、名声、そしていくらかの他の現世的な目的に向けるならば、混乱が生じ、結果に束縛されてしまうだろう。
Xにこう言っておきなさい。仕事を、苦行の実践、神への礼拝、賛歌、巡礼、そして断食などと等しいと考えるべきであると。
私は、瞑想をしようと座った彼が、ただ眠りに耽っていたのを見た。
それは良いことだろうか? 人生全体を明け渡し、神へのささげものとして行為を為す方が良いとは思わないかね?
反対に、過度に働かなければならないと思うことも、またよくないのだ。いくらかは肉体に注意を払うことだ。定期的に沐浴をしたり、食べることなどが望ましい。規則正しく睡眠をとることも必要なことだ。
仕事は、愛を通じて円滑になるだろう。
過酷で早急な規則はよくない。
愛をあなたのモットーとしなさい。
若者は、愛に心を動かされるだろう。彼らはそのお返しとして、彼らの心と人生を捧げるようになるだろう。
もし僧院の少年たちが過失を犯すならば、その過失は彼らのものではなく、すべてわたしの過失であるということを、わたしは内省を通して学んだのだ。
もしあなたが、物事を良いものにしたければ、自分自身を変革するよう努め、いつも自分の性格と行動を観察することだ。
シュリー・ラーマクリシュナは、わたしたちに教えられた。もしわたしたちが他人の欠点を見るならば、それはわたしたち自身の欠点でしかないのだと。
もしあなたが偉大になりたいというならば、他人を偉大であると見るべきだ。
若者たちよ、気づきなさい。
シュリー・ラーマクリシュナの人生を、あなたの理想とするのだ。
彼の後に続くのだ。そして、このように自分は新しい力と活力を得るであろうということを確信しなさい。
彼はアヴァターラであり、すべての力の源でもあるのだ。」
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