スワミ・トゥリヤーナンダの書簡集(44)
1915年7月24日
アルモラにて
親愛なるビハリ・バブーへ
わたしの意志から起こることは、ほとんど何もありません――「常に広がっているのは、神の意思なのです。」
わたしはあなたが私の回復を祈ってくださったと知って、大変嬉しく思っています。どうかわたしの心からの感謝をお受け取りください。
神を悟りたいというあなたの願望は、称賛に値するものです。
ケーナ・ウパニシャッドには、こう記されています。
「もし人が今生で真我を知るならば、彼は人生の真の目的を達成します。もし彼が今生それを知らないならば、大いなる破滅が彼を待ち受けています。」
[第二章、五節]
神を渇仰する者はきっと彼を得ます。
「真我は、真我が選んだ者によってのみ得られるのです。」[カタ・ウパニシャッド、Ⅰ.二.二十三]
「わたしは彼を探し求めていますが、見つけることができません。彼によって選ばれた者が彼を見つけるのです。」
人はとても簡単に神を悟ることができます。彼は非常にお優しい御方です。しかし、誰が彼を求めていますか? それが問題なのです。神はこう約束されておられます。「誰かが私を本当に探し求めるならば、私はすぐに姿を現わします。」
しかし、誰が彼を探していますか? これが大いなる魔術――マハーマーヤーのお遊びなのです! 母なる神がわれわれを様々なことで忙しくさせ、われわれは彼女を探し求めようとは思いません。
これに関して、シュリー・ラーマクリシュナはある例え話をおっしゃいました。穀物商人はふくらし米や甘い味の米を倉庫の入り口の送風機の上に置いておきます。その香りに引き寄せられて、ネズミがやって来て、それをご馳走だと思って食べます。彼らは倉庫には山のように米があるにもかかわらず、それにはまったく気づかないのです。同様に、人は妻や子供を持って喜びます。彼は神の至福を手に入れようとはしませんが、神はまさに彼のハートの中に住んでおられるのです。これがマハーマーヤーのお遊びなのです! こんな歌があります。
マハーマーヤーの呪文によって迷妄が世界を覆うとき、
ブラフマーは感覚を失い、
ヴィシュヌは意識を失う。
どんな希望が人に残っていると言うのか?
まず狭い水路が作られて、そして罠が仕掛けられる。
通り道があり、そこは開かれている。
一たび、そのゲートを何事もなくくぐった魚は、
もう二度と出てこない。
蚕は念入りに紡いだ繭を忍耐強く準備する。
しかし、たとえそこから抜けられる方法があったとしても、
蚕は、繭の中に包まれたまま、死んでゆく。
これがマハーマーヤーの迷妄なのです! しかし、希望と無恐怖のメッセージがあります。
「だが私にすべてをゆだねて帰依する人は、簡単にその危難を乗り越えられるだろう。……だから君は、至高者に全身全霊を持って帰依し服従しなさい。そうすれば、至高主の恵みにより、君は必ず永遠にシャーンティなる素晴らしい至福の境地に住めるようになる。」[ギーター、第七章.十四節、第十八章.六十二節]
人には信[シュラッダー]が必要です。神の恩寵によって、信がハートに芽生えると、人は無恐怖になります。
「篤い信仰心を持つ人は、感覚の欲望を制御することで、この無上の叡智を得、速やかに至高の平安の境地に至る。」[ギーター、第四章.三十九節]
他の人びとが何を言おうと、大したことではありません。――人はこの平安を自分自身で悟り、それを内に感じます。それはシュヴァ・サムヴェーディヤ、つまり自分自身の経験と呼ばれ、そして他の者の意見はそれを変えることはありません。悟った魂のハートは至福に満ちています。
「彼には何の望みも憂いもない。」[ギーター、第十八章.五十四節]
主の恩寵を通じてこの状態を悟ることは、不可能なことではありません。千年間暗闇に覆われていた部屋も、一本のマッチを摺ることによって一瞬で照らされます。
師はよくこうおっしゃっていました。
「ジャッカルはみんな同じように遠吠えする。」
つまり、人は最高の智慧に到達すると、みんな同じ経験をします。そして、彼らの言葉には何の矛盾もありません。彼らはみんな母なる神の子供なのです。見解が違ったり、道が違っても、彼らはみんな同じゴールに到達するのです。
「あらゆる河は同じ大海に流れ込むように、その性質に応じて異なる道――真っ直ぐであったり、曲がっていたり――に従う人が、同じゴールに到達します。」[シヴァ・マヒンナ・ストートラ、七]
「月の叔父さんはみんなの叔父さんです」――これに何か間違いがあるでしょうか? なぜあなたは自分自身を心の弱い人と見なすのですか? あなたは無限の強さを授けられた、母なる神の子供なのです。「母なる神を母に持つ者が、どうして誰かを恐れることがありましょうか?」
偉大なる聖者ラームプラサードはこう歌っています。
カーリーの御名という魔法の円を描いたので、
わたしは何の不安もなく立っている。
もしお前がわたしに厳しい言葉を浴びせようとも、おお、死よ、
わたしがそれを母なる神に伝えたなら、お前は罰せられるだろう。
死の破壊者シャーマーは、血の気にはやる女。
死よ、わたしの言うことに耳を傾けよ。
わたしはおとなしくお前に従うような、か弱き者ではないのだ。
これはお前がおだてて取り上げ、食べるような、
子供の手の中の砂糖菓子ではないのだ。
母なる神の子供には強さがないのでしょうか? 彼女の恩寵によって、あなたは無限の力を持っているのです。師はよくこうおっしゃっていました。
「彼女は単に名前だけが母なのではない。彼女はその人の本当の母なのだ。」
「母なる神はブラフマンの現われであり、一切の衆生の中に住んでおられ、そしてガヤーやガンガー、カーシーといったあらゆる場所にあまねく広がっておられるのだ。」
「あなたは無限の活力を秘めた、ヴィシュヌのシャクティ。全世界の種子、至高のマーヤー。 女神よ、あなたはこの世界すべてを惑わせているが、心和らぐと、あなたこそが地上において解脱の因となる。」[チャンディ、第十一章、五節]
このブラフマン[ブラフママイー]の力が、われわれの母なのです。われわれにはどんな恐れがあるというのでしょうか? なぜわれわれが弱くあるべきなのでしょうか? あなたは母なる神の子供なのです。あなたは全能なのです。彼女の恩寵によって、あなたに成し遂げられないことが何かあるのでしょうか? 自我意識の感覚を取り除くのにどれだけ時間がかかるというのでしょうか? 慈悲の心から、母なる神は一瞬でハートを輝かせることができるのです――そして彼女は本当にそうなさるのです。
あなたの
トゥリヤーナンダ