スワミ・トゥリヤーナンダの書簡集(36)
1914年11月6日
親愛なるXへ
1914年11月1日付けのあなたの手紙を受け取って、うれしく思っています。
この世では幸と不幸は交互に起こります。あなたはこれまでにそれらから完全に免れた人を見たことがあるでしょうか? それは不可能なことです。というのも、この世界は相反する組み合わせからできているからです。
真我を瞑想することによって、人はそれらを取り除くことができます。これは幸や不幸が全くなくなるという意味ではなく、神の恩寵によって、それらが人を惑わすことができなくなるということを意味しています。
だから、クリシュナはギーターの中でこうおっしゃってるのです。
「アルジュナよ、それらに惑わされずに、じっと見つめるがよい。」(第二章、十四節)
注意してください。彼は、幸福や不幸がなくなるとおっしゃっているのではないのです。むしろ、彼はこうおっしゃっています。
「苦しみと喜びは季節がめぐるように去来するが、すべては感覚と心が織りなす現象に過ぎない。
それらに惑わされずに、じっと見つめるがよい。」[第二章、十四節]
もし放棄以外に何かしら方法があったなら、主は彼の最も親しい友人かつ弟子であったアルジュナに、それについて話したことでしょう。
シュリー・ラーマクリシュナはこうおっしゃていました。
「サー・シャー・シャー――耐えよ、耐えよ、耐えよ。」
まるで、耐える以外に方法がないように。
彼はさらにこうおっしゃいました。
「忍耐する者は残り、しない者は駄目になるのです。」
したがって、われわれは耐えなければならないのです。忍耐の中に栄光があるのです。
痛みと苦しみは人生において避けることができないものであり、それらを嘆き悲しんで、何か良いことがあるでしょうか? むしろ、もし人はそれらに耐えることができるなら、実りのない嘆きを避けることができます。
偉大なる聖者トゥルシーダースはこうおっしゃっています。
「苦しみは、肉体を持つあらゆる存在にとって避けることができないものです。この点において、賢者も無智な者も違いはありません。しかし、違いはここにあります。賢者はそれはどうしても避けられないものだと十分に知っていて、冷静に苦痛に耐えます。一方、無智な者は絶えず泣き叫んで、自分自身を不幸にするのです。」
常にこの師の言葉を覚えておいてください。
「肉体と痛みとは仲良くさせておけ。私の心よ、お前は常に至福であれ!」
これが、苦しみによって圧倒されることからあなたを守ってくれるでしょう。
あなたの
トゥリヤーナンダ