スワミ・トゥリヤーナンダの書簡集(21)
1912年11月27日
ヴァーラーナシーのラーマクリシュナ・アドワイタ・アシュラムにて
親愛なるスレシュ[スワミ・ヤティシュワラーナンダ]へ
久しぶりにあなたからの手紙を受け取って喜んでいます。あなたの質問に手紙で答えるのは、ひどく難しいことです。これらの質問には面と向かって答えるほうがよいのでしょうが――しかしやってみましょう。
ちょうど種の中には将来の木としての起源、成長、開花が潜在的に存在しているように、同様に、すべての霊性の力の源を解放することによって究極の実在を悟ることを熱望する者を手助けする言葉が“種字マントラ”と呼ばれます。神秘的な聖者ラームプラサードはこう歌っています。
「おお、心よ。お前はどのようにして耕すかを知らない!
お前の人生の田畑には休閑地が広がっている。
もしお前がそれをうまく使うなら、
なんと豊かな収穫が得られるだろう!
もしお前がその収穫を守りたいなら、
カーリーの御名という生垣でそれを囲みなさい。
これは最も丈夫な生垣であり、
死でさえもそれには近づくことができないのだから。
お前のグルから与えられた神の聖なる御名という種をまきなさい。
そして、誠実に愛を込めてそれに水をやりなさい。
もしお前がその務めを重すぎると思うなら、
助けを求めてラームプラサードを呼びなさい。」
“人生という田畑”、“グルから与えられた聖なる御名”、“種をまくこと”、“愛を込めて水をやること”、そして“カーリーの御名という生垣で囲むこと”――人はこのようにして霊性の修行を実践し、最後には自分自身を神に完全に捧げるべきなのです。それがこの歌の意味するところです。
師はこうおっしゃっていました。
「助けを求めてラームプラサードを呼びなさい。」――これは自己という感覚さえ、つまり「私はラームプラサードである」ということさえ忘れるべきだということを意味していると。
神に完全に溶け込むこと――それがサーダナーのゴールです。さまざまな神や女神は同じ不可分のブラフマンの顕現した姿なのです。それらはさまざまな名前で呼ばれ、そしてさまざまな信者の祈りを叶えるためにさまざまな姿で現われるので、種字マントラもさまざまです。あなたはタントラの経典の中でこの主題について詳しく記されているのを見つけるでしょう。
あらゆるヒンドゥー教はヴェーダに基づいており、したがって、ヒンドゥー教の――プラーナ派、タントラ派、その他の派といった――どの宗派もヴェーダでないものはありません。あらゆる宗派はヴェーダをその土台としています。聖者たちはさまざまなタイプの信者の理解を容易にするために、さまざまな方法を指示してきました。それだけのことです。経典の作者は、哲学的なテーマがヴェーダの中で述べられていると言います。ヴェーダ全体を学ばなければ、もしわれわれが「それはヴェーダにはない」と言っても、われわれは確実に間違いを犯すことなるでしょう。
あらゆる音がオームを起源とするように、あるゆる種字マントラはオームに属しています。誰がこの事実を否定できるでしょうか? わたしはアナーハタ音を聴いたことがあるという人の話や、黄金色をした種字マントラを見たことがあるという人の話を聴いたことがあります。わたしは種字マントラがオームに溶け込むのかどうかは知りませんが、しかし、マントラと神が同一であることははっきりと知っています。マントラとは神の身体のようなものです。これらのことは質問しても知ることはできません。人は霊性の修行を実践すべきであり、そしてグルの恩寵によって人はそれを悟るのです。
師は、人がただ“シッディ”、つまり大麻という言葉を口にするだけでは酔うことはできないとよくおっしゃっていました。人はそれを手に入れ、準備し、飲まなければいけません――そのときに初めて、人は酔うことができるのです。そのとき、人は「カーリーに勝利あれ! カーリーに勝利あれ!」と歓喜の声をあげて踊るのです。経典にも、論じてばかりいることはよくないと書かれています。もちろん、理解するために、あなたはいくらかの質問はすべきです。しかしサーダナーが進むにつれて、だんだんとあなたの質問はおのずから静まっていきます。サーダナーをせずに質問がやむことはありません。
人がサーダナーを通じて真実を経験すると、質問が内に生じたとき、その解決法もまた内からやって来ます。これが平安、または完全な安らぎの達成と呼ばれるものです。主によって祝福された者だけが知っています。どんなに議論しても、あなたはその状態にたどり着くことはできません。――これが経典の結論です。「真我はヴェーダの学習によって悟ることはできない。」[カタ・ウパニシャッド 第一巻、第二章、第二十三節]――そのような経典の何百節もがこの真実を認めるでしょう。立ち上がり、実践し続けなさい。きっと神の恩寵に気づき始めることでしょう。そのときあなたは歓喜の中で母なる神の栄光を歌い、そして最高の至福を経験するでしょう。今日はここまでにしましょう。
愛と最高の願いを込めて
トゥリヤーナンダ