スワミ・トゥリヤーナンダの書簡集(17)
1921年6月19日
カンカルにて
親愛なるシュリーダル[スワミ・ニルパマーナンダ]へ
たった今、あなたの手紙を受け取りました……。
少し考えれば、誰も話さずには少しの間もいられないことが分かると思います。もし人が他者と会話をしないなら、自分の心と話をするものです。考えるということは、自分の心と話すということにすぎません。話すことから逃れることはできません。そうであるなら、くだらないことを話すより、神の御名を唱えるべきではないでしょうか?
あなたが誰かと話をするときはさまざまな話題について話さなければなりませんが、あなたが一人でいるとき、なぜくだらないことで思考を無駄にする必要があるでしょうか? 主のことを考えるべきです。神を思い出すことが心に定着するには、ジャパの実践が必要なのです。
ジャパとは主の御名を繰り返すことを意味しています。瞑想はジャパよりも高度です。師はよくこうおっしゃいました。
「ジャパは儀式よりも優れていて、瞑想はジャパよりも高度であり、そして瞑想を完成させた者は解放の状態に達するのだ。」
ジャパを行なってるあいだ、神のことを考え、そしてその御名や性質を理想的なものとして見なすべきです。永遠なる御方は心の中にいらっしゃり、それだから人は瞑想において至福を経験するのです。その気持ちがだんだんと深まっていき、あなたは悟りを得るのです。それはゆっくりとやって来ます。それが一日で得られると期待してはいけません。瞑想中に喜びを得ることは小さなことではありません。
もしお金に対する欲望があなたの心に生じるなら、そのときはこのように識別するとよいでしょう。お金が私に何を与えてくれるというのか? 富を持った人は多くいるが、彼らは幸せだろうか? 師はよくこうおっしゃいました。
「物質的なものは物質から来ます。物質はあなたにサチダーナンダ[絶対的な実在-絶対的な意識-絶対的な至福]を与えることはできません。人はお金で食べ物、衣服、そして他のものを買うことができますが、神を買うことはできません。」
今日はここまでにしましょう。
愛を込めて
トゥリヤーナンダ
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