ジュニャーナ・カルマ・サンニャーサ・ヨーガ
2007.1.20 バガヴァッド・ギーター③
「第4章 ジュニャーナ・カルマ・サンニャーサ・ヨーガ」
◎何度となく生まれてきている
はい、今日はバガヴァッド・ギーターの第四章ですね。ジュニャーナ・カルマ・サンニャーサ・ヨーガっていう副題がついてます。
ジュニャーナっていうのは智慧。
カルマ、これは行ない。
サンニャーサ、これは放棄。
つまり、智慧と行ないと放棄のヨーガと。
【本文】
至高者は言いました。
『私はこの不滅のヨーガを、太陽神ヴィヴァスヴァトに教えた。
彼はそれを人類の父マヌに教え、さらにマヌがイクシュワーク王に教えたのである。
この無上の科学であるヨーガは、師弟継承の鎖によって伝えられ、聖王たちはこれをよく会得してきた。
しかし時の経過とともに、この偉大な道は途絶えてしまった。
それゆえ、太古の昔より伝わるヨーガの道を、
私のバクタ(信愛者)であり友人でもある君だけに、この人智を超えた神秘の科学を語ったのだ。』
アルジュナは言いました。
『太陽神ヴィヴァスヴァトが生まれたのは、あなた様の誕生よりはるかに昔のこと。
なのにあなた様が彼にこの教えを授けたとは、いったいどう解釈したらよろしいのでしょうか?』
至高者は言いました。
『敵を滅ぼす者よ! 私も君も、何度となくこの世に生まれてきている。
私はすべてを覚えているが、君は前生のことなど何も知らない。
はい。至高者――ここでいう至高者はクリシュナね。クリシュナが言いましたと。
私はこの不滅のヨーガを、太陽神ヴィヴァスヴァトに教えた。彼はそれを人類の父マヌ――人類の父マヌっていうのは、これはインドの伝説で聞いたことあるか分からないけど、マヌ法典っていう経典もあるんだけども、人類の始祖はマヌっていう存在が昔いたと言われてるんだね。このマヌが、大昔のイクシュワーク王――これは人類の最初の王であった王に与えたと。そして次から次へと、師から弟子にずーっと語り継げられてきたんだよと。しかし長い長い時の経過と共に、この偉大な教えっていうのは、失われてしまったんだよと。こういうことをクリシュナがアルジュナに言うわけですが、それでアルジュナはちょっと疑問を抱いたと。つまり、ここでクリシュナっていうのはどういう存在かっていうと、アルジュナにとってはあくまでも人間なんですね。
もう一回このバガヴァッド・ギーターの全体像を言うと、アルジュナが戦争に突入するわけですが、そのときにクリシュナっていう偉大な智慧を持った人物を、自分の参謀として迎え入れるんだね。その参謀であるクリシュナとアルジュナの会話なわけですね、このバガヴァッド・ギーターっていうのは。最初アルジュナはクリシュナに対して、いろいろ聞くわけだけど、だんだんクリシュナの話を聞いているうちに、クリシュナっていう人がものすごい偉大な人物であって、自分の無智を晴らしてくれる偉大な人だっていうのは気づいてき始めてる。でもまだ人間だと思ってる。だから疑問を抱くわけだね。
「え? クリシュナ様は――この時点で何歳かしらないけど(笑)、たとえば三十歳ぐらいだとしたら――三十年前に生まれたはずなのに、大昔のマヌとか、マヌのさらに師匠のヴィヴァスヴァトゥに自分が教えたなんていうのは、ちょっとそれは矛盾じゃないですか」と。
「意味が分かりません」と。
「どういうことですか」と。
それに対してクリシュナが、「私も君も何度となく輪廻転生してきてるんだよ」と。
「君は全くそれを覚えてないだろうが、私はその大昔のこともすべて覚えてるんだ」
って言ったのが、ここのところですね。
◎正体を明かす
【本文】
私は生まれることも死ぬこともない存在で、すべての生き物を支配するイーシュヴァラである。
しかしその本来の性質を隠し、神秘的な力によって、このような姿で現世に現われてくるのだ。
バーラタ王の息子よ! 正法が実践されなくなり、
非法が世にはびこったとき、いつでもどこでも私は姿をとって現われるのだ。
はい。ここは非常に重要なところですね。ついに、このクリシュナが、ここで自分の正体を明かすわけです。
つまり、さっきも言ったように、ここまではクリシュナは戦争の単なる参謀としてアルジュナのそばにいたんだけど、アルジュナからそういう質問をされて、「じつは私の正体は、生まれることも死ぬこともない存在で、すべての生き物を支配するイーシュヴァラである」と。
これは前から、いつも言っているように、仏教とかヨーガの垣根を取り払って言えば、仏教的に言うとこれは如来――完全なる世尊と同じです。
例えばね、このバガヴァッド・ギーター、この至高者って訳してるのは、これは上を見れば分かるように、「シュリー・バガヴァーン」って書いてある。「シュリー バガヴァーン ウヴァーチャ」、至高者は言いました。つまりクリシュナのことをバガヴァーンって言っているんですが、仏教でバガヴァーンって言うと、世尊といって、お釈迦様とかあるいは大日如来とか――大日如来は、バガヴァーン・ヴァイローチャナと言う。あるいは、みなさんよく知っている阿弥陀如来――これはバガヴァーン・アミターバって言うんだね。つまり如来の別名はバガヴァーンって言うんです。
で、クリシュナもバガヴァーンって呼ばれ、そして私は生まれることも死ぬこともなく、全てを支配する存在と。つまりこの宇宙の、全てに偏在する完全な完成者としての自分の正体を明かしたわけだね。そして、ここで言ってるのは、われわれが「ああ、阿弥陀様」とか願うそういう存在じゃなくて、このクリシュナが化身であるということです。
◎完全な神の化身
「正法が実践されなくなり、 非法が世にはびこったとき、いつでもどこでも私は姿をとって現われるのだ。」と言ってますが、これはインドではアヴァターとか言うわけだけども、これを宣言した人――他にはラーマクリシュナとかがいるね。ラーマクリシュナっていう人も、最初は田舎の――今度インド旅行でみんな行くかもしれないけど、都会であるコルカタがあって、そのコルカタのちょっと外れたところにドッキネッショルってあって。これはいまだに田舎です(笑)。行くと、英語が通じない。ヒンドゥー語さえ通じない(笑)。ベンガル語なんだね。何言ってるか全く分からない。非常に町並みもまだ田舎で、その田舎の一つのカーリー寺院の神職だった。
普通コルカタでカーリー寺院っていうと、コルカタ中心部に有名で大きなカーリー寺院があるんだけど、全然それとは関係ない、田舎のね、カーリー寺院があって。そこでただ神に狂った男がいる、みたいに言われてただけのラーマクリシュナだった。
で、だんだんだんだん前生からの弟子が集まってきて、いろいろ教えを説いてたんだけど、もう後半の方になってラーマクリシュナも正体を明かしだすんだね。私は実は、完全なるクリシュナ――ラーマクリシュナは実はこれと同じクリシュナだって言っているわけだけど――あるときはクリシュナと呼ばれ、あるときはチャイタニヤ――チャイタニヤっていうのもいるんだけど――と呼ばれた、完全な存在の、私は化身だと。
ラーマクリシュナで面白いのは、ラーマクリシュナの弟子っていろんな人がいて、それを信じない人もいるんです(笑)。ラーマクリシュナを素晴らしいと思ってるし、偉大だけども――例えばね、ラーマクリシュナの弟子であり、お医者さんだった人がいて。この人も面白い人なんだけど、ラーマクリシュナが最後の方で、病気になるんだね。それで死んじゃうんだけど、それまでの間、医者として呼ばれた人がいるんだね。このお医者さんは、だんだんラーマクリシュナと接しているうちに――最初はね、すごく合理的にラーマクリシュナとそれから弟子たちのことを批判してたんです。「いや、君たちはこの人を神のように崇めてるけども、そんな非合理的なことはやめなさい」といってやってたんだけど、だんだんだんだんラーマクリシュナに心を奪われていって――例えば面白い話があって、「ラーマクリシュナさんは、今非常に体がお悪いから、みなさんあまり部屋に入ってきてはいけません」と。「あまり接触しないでください」って言って、自分はずーっといるんだね(笑)。自分は医者の権限を利用して、ずーっと話をしてるっていう(笑)。なかなか帰らないと(笑)。
「病院はどうしたんですか?」とか言われると、「いやー……」とか言って、ラーマクリシュナが大好きになっちゃって。それから信者になったんだけど、その人はラーマクリシュナが完全な神の化身だとは認めなかった。この人は素晴らしい人物で、素晴らしい修行によってね、偉大な智慧を得ている人だが、神の化身なんてことは、そんな人はいるはずがないと。
例えば仏教学とかでもよく、お釈迦様のことをね、如来とか認めない人がいるね。あの人は素晴らしい人だったが、あくまでも人間だと。人間であって、ただその人間の神秘に気づいただけの人だって言う人もいるね。そういう感じで、ラーマクリシュナのことも認めなかった人もいる。素晴らしいんだけど、人間だと。
でもラーマクリシュナ自身はそうじゃなくて、いや、実はそうじゃないんだよと。私の正体は――ここでいう化身っていうのは、天に神がいて、その天の神が「ちょっと人間界に行ってみるか」っていう、そういうレベルの化身じゃないんです。意味分かるよね。つまり、われわれよりもちょっと知性の高い存在が、「よし、じゃあ人間を救おう」と思ってやって来る。こういうことも多分あり得る。
でもそうじゃなくて、完全な宇宙に偏在しているような、これは人物といっていいのかわからない、つまり宇宙の本質の真理みたいなものが、人間の姿をとって現れてきてると。そういう意味だね、ここで言うアヴァターっていうのは。
そういうものが、ある、ない、っていうのは、実はインドの哲学でもずーっと言われてきてるんです。そんなのは認めない宗教家もいるし、そういうのは確実にあるんだという人たちもいる。
もちろん私は、そういうのはあると思うね。私は――これはみなさんがどう考えるかは別にしてね、私は例えば世の宗教家――宗教家っていうか聖者の中で、ラーマクリシュナもそうだし、このクリシュナもそうだし――例えば、分かんないけどね、あまり資料が少なくて分かんないけど、インド・チベットで言うと、パドマサンバヴァとか――グルリンポチェだね。ああいうちょっと桁外れの、ナーローパとかもそうかもしれないけど、いろんな聖者の話を見てると、桁外れの聖者ってたまにいるんです(笑)。
例えばミラレパってさ、チベットで非常に人気がある。何で人気があるかっていうと、親近感があるんだね。ミラレパって最初はお金持ちのお坊っちゃんで、ちょっと叔父さん叔母さんに罠にかけられて、すごい貧乏人になって。で、すごいマザコンなんだね、変な言い方をすると(笑)。マザコンで、お母さんがすごく恨み深い人で。お母さんにせがまれて、で、魔術を習って、親戚を殺しちゃうんです。その後その罪の意識にものすごく悩んで、師匠のマルパのもとに行くんだけど。そこでマルパの、悪いカルマを落とすための試練にあって、で、それを見事にスパスパスパって行くんじゃなくて、最後は逃げちゃうんだね(笑)、結局。しかもそのマルパの奥さんが、情によってね、マルパの智慧をよく分かんなくて、ミラレパの手助けをして、情によってマルパの試練から逃げてしまう。でもまあ、最後は帰ってきて、その教えを受けるんだけど。で、その後洞窟とかにこもって、どんどん智慧を増していって、大聖者になるんだけど。つまり、非常に人間的な状態から、いろんな試練を乗り越えて達成した、みたいな感じがあるから、すごく親近感がある。
でもグルリンポチェ――パドマサンバヴァとか、ナーローパとか、ラーマクリシュナもそうだけど、そういう人の物語を見ると、桁が違いすぎて(笑)、われわれがそれを真似するっていう世界じゃないんだね。ああいうのはちょと、アヴァター的な存在なのかなっていう感じがするね。
ミラレパもこう言っています。ミラレパに対してある弟子たちが、
「いや、あなたは本当に偉大な如来とかの生まれ変わりに違いない」
って言うんだけど、それに対してミラレパが、
「いや、そんなことを言ってはいけない」
と。
「私は、おそらく三悪趣を巡り歩いてきた悲惨な魂の生まれ変わりだ」
と。
「しかし、私は偉大な師に出会い、そして偉大な秘密の教えに出会ったがために、こんな私でも悟れたんだ」
って言い方をするんだね。
これはミラレパの謙虚な言い方でもあるんだけど、つまり、それだけ彼が出会った師匠、それから教えっていうのはすごかったんだと。だから私みたいなカルマの悪い者でも悟れたんだよ、という謙虚な言い方をしてる。
じゃなくて、ラーマクリシュナとかパドマサンバヴァもそうだけど、そうじゃなくて、
「いや、私の正体を知りなさい」
と(笑)。
「私は――このクリシュナとかもそうだけども――完全な絶対な存在であって、教えが捻じ曲がった時代に現れるんだよ」
っていう言い方をしてる。
ちょっと存在として違うんだね。もちろんわれわれは、そのミラレパのような道を歩まなきゃいけない。いろんな悪業を持ってるわけだけど、それをいろいろ苦労しながら、取り除いて――だからアヴァター的な存在の人って、その人も修行してるんだけど、パドマサンバヴァとか一番いい例だけど、全部演技の修行なんだね。演技の修行っていうのは、一応やるんです(笑)。一応、われわれに道を示すために、それっぽいことやるんだけど、実際その人のものすごい問題があって、それを苦労して苦労して苦労して浄化してっていう感じじゃないんだね。だからそれは、みなさんがどう考えるかは別にして、少なくともバガヴァッド・ギーターでは、クリシュナは自分はその完全なる絶対なるイーシュヴァラと表現されてますが――その真理の顕現なんだと。化身なんだっていう言い方をしてますね。そして、正法が実践されなくなり、 非法――つまり誤った考え方――が世にはびこったとき、いつでもどこでも私は姿をとって現われると。
つまり単純にエネルギー的に、なんか真理のエネルギーが充満するとかじゃなくて、みんなにも普通に分かるような人間の姿をとって現れるんだよ、と言っているわけだね。今もある意味、非法の時代だから、どっかに現れてるかもしれないよ(笑)。それは分かんないけどね。