ジグメ・リンパの生涯(3)
彼は6歳の時、普通の新米僧として、タンポ・テルチェン・シェラプ・オーセルが座主を務めていた、チョンギェ谷のペリ(シュリーパルヴァタ)僧院に入りました。ツォギャル・トゥルク・ガワン・ロプサン・ペマは、彼にペマ・キェンツェ・オーセルという名を与えました。
6歳から13歳にかけて、彼は、勉学よりも同年代の新米僧とともに遊び回ることに、より多くの時間を費やしたそうです。彼は、学習意欲のほとんどない貧しい新米僧として日を過ごしたため、年を追うごとに、非常に厳しい懲罰を課す教師とぶつかりました。しかしながら、彼のダルマに対する強い情熱、グル・リンポチェに対する自発的な献身、ならびにあらゆる生き物、特に動物に対する生来的な慈悲が彼を支え、子供時代を非常に歓喜に満ちた意義深いものにしました。彼は、外面的には取るに足りない新米僧のように見えましたが、その内面的な生活は深みに満ちていました。彼のこの頃の日々は、瞑想的な達成と純粋で素晴らしいヴィジョンに満ちていました。
そのような状況の中で、彼は文法、論理学、占星術、詩、歴史、ならびに数多くのスートラとタントラの経典を修めました。秘伝的なイニシエーションの伝授を別にすれば、他の真面目な生徒とは違って、彼は師についたり、どんな知的な課目についても詳細にわたって学ぶ必要を感じず、単に他の生徒が受けた授業を小耳にはさんだり、経典をちらっと見ただけで、様々な科目を習得したのでした。
成就者の多くは、まず学び、そののち瞑想して悟ります。ジグメ・リンパは、自身の内にある智慧の悟りを目覚めさせた結果としてそれらを修得しました。しかしながら、彼が限界のない智慧を最終的に完全な形で花開かせるのは、さらにもっと後のことで、それは彼が31歳の時にロンチェン・ラプジャムのヴィジョンを見たときのことでした。彼は、このように述べています。
「元来、私は、言語学、宗教に関係ない書物、正統的な経典や注釈書、またはヴァジュラヤーナの教えといったどんな科目であろうとも、学べるならば、大きな幸せを感じました。私は大いなる敬意を持って昼夜それらを学んだものでした。しかし私には、師とともに智慧を深めていくという機会はほとんどありませんでした。たった1日でさえも。しかしながら、栄光あるサムイェ・チンプにおいて、3度、ロンチェンパの智慧の身体をはっきりと目にしたことによって、そして様々なサインを通じて祝福を受け取ったことによって、[“智慧の修得”に関する]私のカルマは、偉大なる完全性の[深み]から目覚めました。」
ネテン・クンサン・オーセルから、彼は最初の主要な伝授、つまり、テンポ・テルチェン・シェラプ・オセル(ドゥドゥル・リンパ)よって発見されたトゥルティク・ゴンパ・ラントゥルの教え、サンギェ・リンパ(1340-1396)よって発見されたラマ・ゴンドゥのサイクル、ロンチェン・ラプジャム(1308-1368)による『七つの宝蔵』と『三つの馬車』の伝授を受けました。