シュリー・チャイタニヤの生涯(4)
【教授時代】
ニマイが7歳の頃、16歳だった兄のヴィスウェーシュワラは、苦行者になるために家を出ていきました。これは事実上、死別を意味するため、両親は途方もない悲しみに暮れました。ニマイは、どのTOL(サンスクリット学校)への入学も拒否していましたが、兄の出家をきっかけに勉学を始め、シュルティダラ(一度の説明で何でも把握し記憶することができる人)として目覚しい成長を遂げ、9歳の頃には聖糸をまとい、ヴェーダの職務の功績を認められるようになりました。
偉大なパンディットであったニマイの父親はこれを大変喜びましたが、それも束の間、彼は不治の病に襲われ、帰らぬ人となりました。
いまや少年の唯一の保護者となった母親のサチは、ニマイに最高の教育を受けさせるため、非のない特性と随一の学識を持つパンディット・ガンガーダースの元に少年を送りました。少年はガンガーダースの元で瞬く間に優秀な児童として認められるようになり、カマラ・カーンタやクリシュナーナンダ、ムラーリ・グプタといった優秀な同級生達をディベートで完全に打ち負かすようになりました。
ニマイは、ナディアのパンディット達のディベート・フィーバーに便乗して、地位のある学者たちに挑戦するため、近所に通い始めました。この若年期に、彼は学問の中心地として有名なナディアでも真価を認められた文典の研究を発表し、ヴァースデーヴァ・サルヴァハウマという非常に高名な研究者の元で、優れた文学と文典を習得するための勉学を始めました。ニマイは程なくして、非常に権威あるディディティと呼ばれるニヤーヤの書物を発表していたラグナータや他の同級生をも凌ぐ優れた才能を発揮するようになりました。
ラグナータは、サルババウマ教授から与えられた複雑な論理的誤謬の解析に丸一日を費やしましたが、同じ問題をニマイはあっという間に解決しました。川を渡ってTOLへ行く途中の船の中で、ラグナータはニマイの研究内容のさわりを聞きたがりました。ラグナータは自分の研究が称賛されることを期待していたため、ニマイの研究内容を心配していたのです。ニマイがそれを読み始めると、その内容を聞いてラグナータは見る見る不機嫌になり、ついには泣き出してしまいました。彼の野望はニマイの研究書の前に完全に打ち砕かれてしまったのです。しかしニマイはまったく躊躇せずその自分の研究書物をガンガーに投げ捨て、友人をなだめました。このようにして、世界はニヤーヤの傑作を失ったのでした。
16歳になると、ニマイは自らTOLを開きました。広い評判に引き付けられて多くの学生達がナディア最年少の教授の元に集まりました。この頃、ニマイはニヤーヤのパンディットであるヴァラバーチャリヤの娘のラクシュミーと結婚しました。ニマイは学者の職業に落ち着いてからも、その陽気で少年らしいムードを保っていました。目の覚めるような端正な顔立ちを持ち、彼はその才能への高い評判を得ていましたが、それでも今までと同じようにはしゃいでまわり、ずっと年上の多くの学生達と遊んでいました。
その頃、ニマイはどういうわけかヴィシュヌ派にちょっかいを出し、よくからかっていました。それを理由にムクンダはニマイを敬遠していましたが、あるとき、ニマイに面と向かって意見を突きつけられました。
「君は僕を異端児扱いして避けているんだね。そのうち僕もヴィシュヌ派になってみせよう。ただし君のようなイカサマ野郎みたいにはならないけどね。」
ニマイの父親の友人だったシュリーヴァスは、以前ニマイにヴィシュヌ派に入って模範的な生活を送り、仲間を率いていくようアドバイスしたことがありました。それに対しニマイは深刻ぶった様子でこのように答えました。
「尊敬するお方よ。そうですね、僕はこのように若くして教授となりました。だからどうぞあと少しだけこの成功を楽しませてください。その後であなたの助言を考慮いたします。」
こうしてニマイはTOLで増え続ける学生達に教える生活を選び、一方でほかの学者達にディベートを挑んでいきました。ニマイは東方のパンディット達に挑戦するため、学究遠征に出かけました。彼の名声はすでに知れ渡っており、行く先々でレッドカーペットの歓待を受けました。ニマイ達を驚かせた注目すべき出来事は、年老いたブラーフマナ信者のタパン・ミスラがおこなった礼拝でした。ミスラは前進してニマイの足元にひれ伏しました。そして、罪人を救済するために地上に現れた、主の顕現であるニマイ・パンディットに帰依しなさいという神の声を聞いたのだと言いました。タパン・ミスラはニマイがアヴァターラであることを認めた第一人者でした。
一年間の遠征から戻ったニマイは、妻のラクシュミーが毒蛇に噛まれ死んだことを知りました。しかしその後も変わらず教授の生活を続け、多くの学生が彼の元に集まりました。後援者から受けた多額の支援金のすべては、ニマイの家の世帯主であった母親に渡されていました。
その頃、ケーシャヴァという偉大な学者が、ナディアのパンディット達に挑むべくやってきました。ある月明かりの夜、ケーシャヴァは偶然出会ったニマイを見下す態度で扱いましたが、ニマイはこの侮辱を従順に受け入れました。ニマイは、聖ガンガーへの賞賛の詩を、思想交換のための主題として提案し、ケーシャヴァは壮大な長編詩をたやすく作りあげ、周囲の驚嘆と賛美を得ました。ニマイはケーシャヴァに、詩のどれか一節の美しさについて詳細な解説を求めました。しかしケーシャヴァが節を選んでる間にニマイは、たった一度聞いただけの詩の半ばの一節を復唱し、ルールに基づいて5つの誤りを指摘しました。自らを「世界の勝利者」と呼んでいたケーシャヴァは屈辱を味わいました。その夜、ケーシャヴァの夢にサラスワティー女神が現れ、ニマイがクリシュナそのものであることを告げたのでした。
ケーシャヴァの敗北は、全地域における他の追随を許さない学者としてのニマイの名を残しました。母親のサチは、愛する息子の申し分のない人生に足りないのは妻だけであると考え、地元の裕福で有名なパンディットの娘のヴィシュヌプリヤーとニマイを結婚させました。