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シャブカルの生涯(20)

 そうしている間に、わたしの父の元から来た少年たちが、わたしにこう言い続けました。

「もう結婚すべき時だよ。」

 わたしの母や親戚たちもその言葉を繰り返し、二十一歳で亡くなった母方の叔父の若い未亡人、またはある別の女性を妻とするよう言いました。

 「二人のどちらかから選びなさい。」

 彼らはそう言いました。わたしはこう答えました。

「聞いてください、優しいお母さん。そしてあなたがた親戚の皆さん。わたしはダルマを修行すると決めたのです。妻など欲しくないのです。」

 「なんとしてもお前は妻を持たなきゃいけないよ。」

 わたしの母はそう言い張りました。

 「じゃあ、いったい誰がわれわれの土地や家の面倒を見るんだい? もしお前がそうしてくれないなら、わたしにとってお前がいることと、一人も息子がいないことに何の違いがあるんだい? もしお前がダルマを修行したいなら、故郷にいたって十分やっていけるんじゃないのかい。おまえの叔父たちはみなそうやってダルマを修行してるのだから。」

 彼らは数々の実例をあげ、あらゆる理由を持ち出しました。

 わたしはこう答えました。
 
「わたしはそんなダルマとは関わりたくありません。それならいっそダルマをまったく修行しないほうがマシです。もしわたしが妻を持つとしたら、見た目が美しく、一緒に居て安らぎ、仲が良く、愛想の良い――あらゆる人の心を喜ばせる――他に類を見ない女性でなくてはいけない。食べて寝てばかりで、だらしがなく、すぐに文句を言う女性と結婚する利点は何ですか?」

 そばに居た何人かが大笑いしました。わたしの親戚の一人が、さらにわたしにこう尋ねました。

「それなら完璧な妻を、つまりお前が今話したような妻をもらいなさい。富と食べ物に関してはお前が必要なら何でも、われわれが与えようじゃないか。」

 しかし、わたしはこう言って話し合いを終わらせました。

「やれやれ、わたしはただあなたがたを試していただけなのです。この世界にそのような稀有な女性、つまり裕福な家庭に生まれ、美しい声と気高い人格を持ち、神々の娘が人間界に来たような、鮮やかに咲いた見飽きることのない蓮華の花のような――要するに、人間と神々両者の欲望の対象となるような、そんな美しい娘がいるかもしれません。」

「そのような二人といない女性が富と権力を持つ天界の王子のような男性と結婚するとき、彼らはともに優雅なローブで着飾り、宝石やサンゴを耳にぶら下げ飾り立てます。みなの目が彼らに向けられると、彼らはこう思うのです。‘病もなく、年老いることもなく、永遠にこのようにいられたら、どんなにか素晴らしいだろう。’」

「しかし数年後、幾人かの貴重な男の子とあまり貴重でない女の子をもうけ、病や不運を経験したあと、彼らはそれらのトラブルのために急速に年老います。そのとき誰かが、‘かつて彼らは若い夫婦だったんだよ’と言ったとしても、誰が信じるでしょうか?」

「わたしは年月が過ぎ去るにつれて、もはや誰の目をも引き寄せない年老いた夫婦に変わる美しい人びとを目にすると、もし今自分が若い妻をもらったなら、われわれが単にもう一組の薄汚れたしわくちゃな夫婦となってしまう時が実際にやって来るだろうと思い、そして落胆せざる得ないのです。」

「たとえあなたがたが私に、この世のものとは思えないような美しい妻を与えたとしても、わたしはそれを欲しいとは思いません。まだ若い頃、わたしの祈りは、過去の師たちがそうであったように、未来世において輪廻ではなく至福の浄土に生まれるよう、ダルマを修行することでした。そこで、生と死から自由になった仲間たちの中で、わたしは崇高なダルマの祝宴を楽しむのです。」

 再び、わたしは詩の形でこう言いました。

 「主よ、根本グルよ、ヴァジュラダラよ
  この乞食が聖なるダルマを成就できるよう
  祝福をお与えください。
  今わたしは自分自身にアドヴァイスを与えるつもりです。
  あなたがたも、少し耳をお傾けください。

  おおよそお前が外的な対象を、それがどんなものであれ注意深く調べるなら、
  それらは無常で本質のないことが分かるだろう。
  特にわたしは、輪廻における家族の人生に思いをはせるとき、
  内深くからわく悲しみを感じるのです。

  長い年月を背負った老人たちを目にするとき、
  わたしはもし自分が若い妻をもらったなら、
  彼女もまた彼らのように年衰えるときが来るだろうとつくづく思うのです。
  このことを考えると、わたしは内深くからわく悲しみを感じるのです。

  わたしの村の者たちの悲しみを目にするとき、
  わたしはもし自分が世俗的な所帯を持ったなら、
  まさに同じ悲しみに遭遇するときが来るだろうとつくづく思うのです。
  このことを考えると、わたしは内深くからわく悲しみを感じるのです。

  過去の師たちの完璧な人生を熟考するとき、
  わたしはもし自分が聖なるダルマを修行したなら、
  彼らのように幸福になるだろうと思うのです。
  このことを考えると、わたしは内深くからわく大いなる信を感じるのです。

  わたしは自分が過去の勝利者方の例に倣って
  聖なるダルマを修行できるよう祈ります。
  
  主よ、根本グルよ、ヴァジュラダラよ
  この乞食が聖なるダルマを成就できるよう
  祝福してください。」

 このように、わたしはさまざまな手段を使って、誰の娘も受け入れることを避けました。わたしが結婚を勧められたある女性に関して言うと、結局彼女は親戚の一人の息子と幸福な結婚をしました。わたしのダルマの修行に関して言うと、彼女は間接的に大いなる助けとなりました。

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