サーダナーの指針の花輪(251~260)
251.
感覚の喜びを追い求める人生は、人生ではない。
それは、苦しみ、様々な罪、欠点、執着の対象、弱い意志、ひどい苦労と闘争を伴う。
感覚の喜びを追い求める人生は、あなたに永遠の幸せを与えることはできない。
それはあなたを、地獄の深い穴へと落とす。
感覚の喜びにあなたが夢中になればなるほど、あなたの安らぎは減少し、苦しみで満たされていくのである。
252.
栄誉、体面、尊敬、肩書き、称号、学位、名声、名誉を避けなさい。
それらは役に立たない。
それらは決して、あなたに永遠の満足を与えはしない。
それらはあなたのうぬぼれを強めるだけである。
それらは心の麻酔剤である。
それらは精神障害をもたらす。
よって、バルトリハリ王、ゴーピチャンド王、そして主ブッダなどは、彼らの王国、富、栄誉その他を捨てたのである。
253.
王国を所有することは、価値あることではないか?
カシミールの夏の宮殿や、様々な色の甘い香りの花に満ちた快適な庭園は、素晴らしい住居ではないか?
柔らかい腰と蓮華のような目を持つ若い王妃たちは、非常に素晴らしく、それは生命そのもののように愛しいものではないか?
それにもかかわらず、賢明な者たちは、森へ退いた。
そしてこれらのすべてを、藁と同じくらいに価値のないものと見て、蹴飛ばした。
そして彼らは真我を悟った。
254.
断固たる強い決意と、強い意志を持て。
いったん放棄の道に入ったならば、もう決して家に帰ることを考えるな。
勇気、堅固な心、そしてハッキリした人生の目的を持ちなさい。
身体と生命を含むすべての所有物を放棄する準備ができているならば、あなたは放棄の道、そしてサンニャーサに入ることができる。
255.
放棄の道は、バラ色の道ではない。
それは、無数の困難と苦労にさいなまれる。
道の途上に障害は多い。
しかしその道は、あなたを王の中の王、皇帝の中の皇帝にすることができる。
256.
放棄の道を行くことを望む者は、苦しくハードな人生、粗末な食物などに耐えられるよう、自分を鍛えなければならない。
そうしてのみ、禁欲修行者の厳しい苦行生活を送ることができる。
怠惰になってはいけない。
心のエネルギーは、正しく活用されなければならない。
そうすることによってのみ、迅速な進歩が可能となる。
257.
外的対象の魅力と様々な束縛は、人をこの世に縛り付ける。
すべての魅力の放棄と、すべての束縛の破壊が、真の放棄を構成する。
魅力と束縛から自由になった人は、無限の至福と至高の喜びを楽しむ。
258.
天界の神々は、人間以上に強烈で微細なる、五感の喜びを味わっている。
しかしこれは真の幸福でも、永遠の幸福でもない。
よってヴィヴェーキ(識別智を持つ者)は、天界の喜びすらも避ける。彼は情け容赦なくそれらを蹴り飛ばす。
彼は、ブラフマンの至福の海に比べると、三界のあらゆる楽しみが、雀の涙のようなものであるということを確実に理解しているのである。
259.
ヨーガとは、至高者との合一である。
それは、規則的なヨーガ修行によって、個我と神を結合させる方法を教える、霊的・精神的な科学である。
個別的な魂と至高の魂の結合が、ヨーガと呼ばれるのである。
260.
ヨーガの目的は、人を物質の奴隷の状態とプラクリティの拘束から解放し、彼自身の絶対なる本性を悟らせることである。
-
前の記事
今日のAMRITAチャンネル「実写ドラマ/ラーマーヤナ 第47話」 -
次の記事
解放のサイン