ゴーパーラ・マー
アーゴルマニは、幼くして結婚相手に先立たれてしまい、未亡人となりました。よって普通の夫婦生活を経験したこともなく、もちろん子供もいませんでした。
彼女は貧乏でしたが信仰心が篤く、そして極端なほどに観念的で融通が利かない、厳格な性質を持っていました。宗教上の伝統的な決まりごとを、極端なぐらいに厳格に守っていたのです。
アーゴルマニの永年の日課は、午前二時に起床して身を清め、三時ごろから八時か九時ごろまで、ジャパ(マントラ詠唱)などの修行を続けることから始まります。それから沐浴をして、寺院に詣でて食物供養などのおつとめをし、正午には一日一食の食事をしました。昼食後、少しばかり休むと再びジャパを再会し、夕方の礼拝に参列し、その後、また夜遅くまでジャパをしました。これが終わると少量の牛乳を飲んで、わずか数時間だけ眠りました。
また、彼女はゴーパーラ(赤子の姿のクリシュナ)を自分のイシュタ(理想神。個々人が特別に礼拝する神)とし、常にゴーパーラに熱心な礼拝をささげていました。
そんなアーゴルマニが初めてラーマクリシュナをお訪ねしたのは、1884年秋のことでした。アーゴルマニは初対面から、ラーマクリシュナの魅力に強烈にひきつけられましたが、なぜ自分がそんなにラーマクリシュナにひきつけられるのか、自分でもよくわかりませんでした。
最初の訪問後、二、三日して、ジャパを行なっているうちに、アーゴルマニは再びラーマクリシュナに会いたくてたまらなくなりました。そこで彼女はわずか数パイサの干からびたサンデーシュ(菓子の一種)を携えると、急いでドッキネッショルのカーリー寺院へと向かいました。
しかしアーゴルマニは、自分が持ってきた菓子をラーマクリシュナに差し出すのに躊躇しました。他の人々は豪華な供物を持ってきていたのに、自分が持ってきた菓子は干からびていてあまりにも粗末だったからです。
しかしラーマクリシュナは、アーゴルマニが着いたのを見ると、彼女が持っていたその粗末なお菓子を、自分からほしがりました。ラーマクリシュナは大喜びでその菓子を召し上がると、言いました。
「どうして菓子に金をかけなければいけないのだ? 甘いココナッツボールを作っておいて、ここに来るときに一つ二つ持ってくるといい。そうでなければ、自分で作ったいつもの料理を少し持っておいで。かぼちゃの葉っぱを混ぜ込んだのや、ジャガイモ、なす、鳥の足、小さな団子のカレーでもいい。あなたの手料理が食べたいのだ。」
このような感じで、ラーマクリシュナはアーゴルマニに、神や信仰の話は一切されず、あれこれと食べ物の話ばかりをしました。アーゴルマニは、心ひそかにこう思いました。
「おかしなサードゥのところに来てしまった! 食べ物のことしかおっしゃらない。私は貧しい未亡人。どこでそんなご馳走を作れましょう! たくさんだ! もう来るのはやめよう。」
ところが、そんなことを考えながらアーゴルマニがドッキネッショルのカーリー寺院の門を出た瞬間、アーゴルマニは一歩も動けなくなってしまったのです。まるでラーマクリシュナが自分を引き止めているかのようでした。アーゴルマニはこの場を去るように一生懸命自分に言い聞かせて、やっとのことで家に帰りつくことができました。
数日後、アーゴルマニは、再びラーマクリシュナを訪ねてやってきました。今度はごた混ぜのカレーを携えて、約五キロの距離を歩いてやってきたのでした。彼女の姿を見るなり、ラーマクリシュナはやはり食べ物をほしがり、そのカレーをおいしそうに召し上がりました。
「なんておいしいのだ! まるで甘露のようだ!」
ラーマクリシュナが喜ばれる様子を見ると、アーゴルマニの頬に涙が流れました。彼女が貧しいとご存知のラーマクリシュナは、そのささやかな捧げ物をお褒めくださったのだ、と彼女は思いました。
その後、二、三ヶ月間の間、アーゴルマニは足しげくラーマクリシュナのもとに通い続けました。特に気に入った料理ができると、必ずラーマクリシュナのもとへ運びました。ラーマクリシュナはことのほか喜ばれて、クレソンのスープ、カルミ草のカレーなどを、新たに作って持ってくるように頼まれたりしました。
あれを持って来い、これを持って来い、とラーマクリシュナの要望を聞くうちに、アーゴルマニはときおり、うんざりしてしまい、彼女のイシュタに祈りました。
「おお、ゴーパーラ、これがあなたへの祈りのお応えなのでしょうか? 食べ物ばかりほしがる聖者のところへ連れてこられるだなんて。もうここへは来ませんよ。」
しかし家に帰りついたとたん、アーゴルマニは、抗いがたい力に引かれて、いつまた師をお訪ねできるだろうか、という思いに駆られるのでした。
1885年の春のある朝、いつものようにアーゴルマニは早朝三時からのジャパにとりかかりました。途中で呼吸法を行ない、修行の結果をゴーパーラに捧げようとしました。するとそのとき、彼女の左側に、ラーマクリシュナが優しく微笑んで座っているのに気づきました。ドッキネッショルでお会いするのと同様に、生き生きとした姿でした。
「これはどういうことでしょう? こんな時間に、いったいなぜここへいらしたのかしら?」
アーゴルマニが勇気を出してラーマクリシュナの腕に触れると、ラーマクリシュナの姿は消えてしまいました。そしてそこに、彼女のイシュタであるゴーパーラ、10ヶ月くらいの大きな赤ちゃんの姿のクリシュナが、姿をあらわしたのです。その美しさは、言い表せないほどでした。
ゴーパーラはアーゴルマニのほうに這ってきて、片手を上げると、
「お母さん、バターをちょうだい。」
と言いました。
アーゴルマニは、この度肝を抜かれる体験に感極まり、そして当惑し、ありったけの大声で叫び声をあげました。そして泣きながら、彼女は言いました。
「坊や、私は貧しい未亡人です。何を食べさせてあげればいいのでしょうか? バターとクリームはどこから持ってきましょうか? わが子よ。」
しょうがないのでアーゴルマニは、乾いたココナツボールを、ゴーパーラの手に乗せました。
もう全くジャパはできませんでした。ゴーパーラは、アーゴルマニの数珠をもぎ取ったり、アーゴルマニの肩に乗ったり、部屋中を這い回ったりしました。
夜が明けると、アーゴルマニはゴーパーラを腕に抱きかかえたまま、狂人のように走ってドッキネッショルへと向かいました。
アーゴルマニがドッキネッショルに着いたとき、陶酔状態に入ったままの彼女の髪は乱れ、目は据わり、着物のすそを引きずっていました。周りのことなど、すっかり目に入らない様子でした。
そんな姿のアーゴルマニを見て、周りの者はすっかりあっけにとられてしまいましたが、ラーマクリシュナは、彼女を見ると直ちにサマーディの法悦境に入ってしまいました。アーゴルマニがラーマクリシュナのそばに座ると、ラーマクリシュナは彼女のひざの上に、子供のようにお座りになりました。アーゴルマニの眼からは、滝のように涙が流れ落ちていました。
アーゴルマニは、持ってきたバターやクリームや菓子を、自分の手でラーマクリシュナに食べさせました。周りの者は、仰天しました。普通、サマーディ状態に入ったラーマクリシュナが、女性に触れるということはなかったからです。
しばらくすると、ラーマクリシュナは通常意識を取り戻しました。しかしアーゴルマニはまだ抑えられぬ歓喜状態にあり、有頂天になって、
「ブラフマーは踊る、ヴィシュヌは踊る」
と繰り返しながら、部屋の中で踊りだしました。
ラーマクリシュナは他の信者たちに、微笑んでこう言いました。
「ごらん、すっかり至福に飲み込まれている。彼女の心は今、ゴーパーラの住処にあるのだ。」
その日、アーゴルマニは、激しい霊的高揚に捉えられ、涙を流しながら、ラーマクリシュナにいろいろなことを話しました。
『ゴーパーラが私の腕の中にいます。・・・そのゴーパーラが今、あなたの中に入ります・・・ほら、また出てきました。・・・おいで、坊や、哀れなお母さんのところへおいで。』
このように話しながら、アーゴルマニは、いたずらなゴーパーラがラーマクリシュナの体の中に消えて、また出てくるヴィジョンを見ていたのでした。
ラーマクリシュナは、アーゴルマニの驚くべき恍惚状態を見て非常に喜び、その日からラーマクリシュナは、アーゴルマニのことを『ゴーパーラ・マー』と呼ぶようになりました。
その日、ラーマクリシュナはゴーパーラ・マーをしばらくドッキネッショルにおとどめになり、夕方になって落ち着いたころ、彼女は家に帰っていきました。ゴーパーラを腕に抱きかかえたまま。
部屋に帰った彼女は、いつものように数珠を繰ってジャパを始めました。しかしそれは無理なことでした。全生涯をかけて行じてきたジャパと瞑想の対象だったゴーパーラが、今や目の前で遊びまわりながら、あれこれとしつこくねだって困らせているのです。
ゴーパーラの子供らしい戯れといたずらに圧倒されて、ゴーパーラ・マーは、厳しい規則や伝統的儀式などを守ることを、すっかり忘れてしまったのでした。
翌朝、ゴーパーラ・マーは、ゴーパーラに料理を食べさせるために、庭で薪拾いを始めました。するとゴーパーラも、彼女のすぐそばで薪を拾って、台所に積み上げていたのでした。こうして母と子は一緒に薪を拾いました。ゴーパーラ・マーが料理を始めると、いたずら好きなゴーパーラがそばに座ったり、背中に乗ったりしながら、彼女の様子を見ていました。そして片言言葉で、あれこれとおねだりをしました。彼女はあるときはやさしい言葉で、またあるときはしかったりしながら、ゴーパーラをなだめようとしました。
この数日後、ドッキネッショルを訪ねたゴーパーラ・マーは、数珠を繰ってマントラを唱え始めました。するとそこへラーマクリシュナがやってきて、言いました。
「いまさらどうしてそんなにジャパをするのかね? お前は十分なヴィジョンをいただいているではないか。」
ゴーパーラ・マー「もうジャパはしないでよろしいのですか? 私は一切を成就したのでしょうか?」
ラーマクリシュナ「そうだ、一切を成就したのだ。」
ゴーパーラ・マー「一切をでございますか?」
ラーマクリシュナ「そうだ、一切をだ。」
ゴーパーラ・マー「なんとおっしゃいます。私が一切を成就した、とおっしゃるのですか。」
ラーマクリシュナ「その通りだ。もうジャパや苦行をすることはないのだよ。だが、この体が達者であるように、そうした修行を続けてもよろしい。」
こう言うと、ラーマクリシュナはご自身の体を指差しました。
ゴーパーラ・マーは言いました。
「承知いたしました。これから先、私はすべてをあなた、あなた様のためだけに致します。」
この日、ゴーパーラ・マーは、ずっと愛用していた数珠をガンジス河に捨てました。それからずっと後になって、彼女は別の数珠を手に入れました。そのとき彼女は、こう思いました。
「何かをしなくては。何もしないで24時間どうやって過ごせましょうか。私はただ師のためだけに、ジャパをするのです。」
ゴーパーラ・マーの自分のためのジャパや苦行は終わりを告げましたが、彼女はよりいっそう頻繁にラーマクリシュナのもとを訪ねるようになりました。
驚くべきことに、2ヶ月間もの間、この驚くべきゴーパーラのヴィジョンは、ゴーパーラ・マーから去ることはありませんでした。
同様のヴィジョンを、わずか一瞬でも経験するだけでも、それはすばらしいことです。しかしそれを数時間でも持続させるのは、普通は非常に困難なことなのです。しかしゴーパーラ・マーは、二ヶ月間もの間、途切れることなく、ずっと赤子のゴーパーラと一緒にい続けたのでした。
二ヵ月後、彼女のヴィジョンと経験は、徐々に途切れるようになってきました。しかしその後も、静かにゴーパーラを瞑想すると、以前のようにまたすぐにゴーパーラが現われたのでした。
ゴーパーラ・マーは、師のラーマクリシュナが、自らのイシュタのゴーパーラと全く変わらない、という確信を得ました。その直後から、彼女のゴーパーラのヴィジョンは、途切れるようになったのです。それに代わって彼女はラーマクリシュナのヴィジョンを多く見るようになり、必要なときにはラーマクリシュナがヴィジョンで彼女に指示を出されるようになったのです。
2ヶ月間もずっと一緒にいたゴーパーラのヴィジョンが消えたころ、最初、彼女は不安にさいなまれ、ラーマクリシュナに相談しました。ラーマクリシュナは彼女にこう言いました。
「このカーリー・ユガの時代に、ああいうヴィジョンを見続けると、肉体は長くはもたなくなってしまうのだよ。」
それでも以前のようにゴーパーラといつも会うことができなくなったゴーパーラ・マーは、ゴーパーラへの強い愛に捉えられて、体内に風のエネルギーが強まり、胸にひどい痛みを覚えるようになりました。これに対してラーマクリシュナは、こうアドヴァイスしました。
「これは、あなたのゴーパーラ・クリシュナへの強い渇仰心のせいだ。霊的なエネルギーが強すぎるのだよ。だがそれがなくなったら、あなたはどうやって生きていくのだね? それがあるのは良いことなのだよ。あまりにも痛むときには、どうぞ何か食べておくれ。」
こう言って、ラーマクリシュナは様々なおいしい食べ物を彼女に食べさせたのでした。
ある日のこと、ゴーパーラ・マーと、ナレーンドラ(後のヴィヴェーカーナンダ)の二人がドッキネッショルに来たことがありました。
当時のナレーンドラは、「神は形のないものである」という考えに深く傾倒し、神像を礼拝することなどにはひどい嫌悪感を抱いていました。そして博学で知的で、理性的でした。
一方のゴーパーラ・マーは、貧しく素朴で、学問もなく、ただ純粋にゴーパーラだけを追い求める信者でした。
ラーマクリシュナは面白がって、あえてこの正反対な二人の弟子を同席させたのでした。そしてラーマクリシュナはゴーパーラ・マーに、彼女が経験したゴーパーラのヴィジョンについて、ナレーンドラに話すようにおっしゃいました。
ラーマクリシュナに促されると、ゴーパーラ・マーは涙に声を詰まらせながら、初めてゴーパーラに会ったときのことを話し始めました。それから二ヶ月に渡るゴーパーラとの神遊びの詳細を、ナレーンドラに語って聞かせたのでした。ゴーパーラを抱きかかえて、狂人のようにドッキネッショルまで駆けていったときの様子。ゴーパーラがラーマクリシュナの体に出たり入ったりすること。ゴーパーラが薪割りを手伝ってくれたり、食べ物をねだっていたずらをしたこと。こうした出来事を話しているうちに、彼女は信仰に満たされ、再び恍惚状態になってゴーパーラのヴィジョンを見始めました。
ナレーンドラは、外見は厳しく冷たい合理主義者でしたが、実はその内面は、愛と信仰にあふれていました。ゴーパーラ・マーの話を聞き、そしてその恍惚状態を実際に眼にすると、涙を抑え切れませんでした。
ゴーパーラ・マーは、ナレーンドラに言いました。
「あなたは学問があって、賢いお方です。私は貧しい無知な未亡人です。何も理解していません。こうしたヴィジョンは本物なのでしょうか? どうぞ教えてください。」
ナレーンドラは答えました。
「ええ、お母さんがご覧になったことはすべて本当ですよ。」
1886年、師であるラーマクリシュナが亡くなった時のゴーパーラ・マーの悲しみは、たとえようもないほどでした。その後、長い間、ゴーパーラ・マーは、家からほとんど出ることなく隠遁生活を送りました。
しばらくして、再び彼女のヴィジョンの中にラーマクリシュナが頻繁に現われ始めると、彼女の悲しみは終わりを告げました。
その後のあるとき、マヘーシュでの山車祭に参加したとき、ゴーパーラ・マーは、万物万人の中にゴーパーラのヴィジョンを見、その喜びに圧倒されました。最愛のゴーパーラが、山車の上や神像に宿られ、また山車を引き回す人々や、膨大な群集のそれぞれの中に宿られているのを見たのでした。最愛のゴーパーラは、この世のあらゆるところに、様々な姿をとりながら示現されていたのでした。彼女はこの宇宙的ヴィジョンにわれを忘れて、法悦のあまり、外界意識を失い、踊り、笑い、大騒ぎをしたのでした。
晩年、ゴーパーラ・マーは、自分を出家者とみなして、黄土色の布をまといました。そして1904年、彼女は重い病にかかり、寝たきりになってしまいました。
西洋に渡って成功したヴィヴェーカーナンダ(ナレーンドラ)の西洋人の弟子であるシスター・ニヴェーディターは、ゴーパーラ・マーの驚嘆すべき生涯について聞いて深く感銘し、ゴーパーラ・マーを自分のインドの自宅に引き取りたいと強く願い出ました。こうして二ヴェーディターは二年間に渡って、ゴーパーラ・マーとともに暮らし、その面倒をみました。そして1906年の7月、ゴーパーラ・マーはその驚くべき一生を終えたのでした。
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