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グル・リンポチェ(大聖パドマサンバヴァ)(19)

8.ヴァイローチャナは、チベットの歴史における仏教経典の翻訳者の第一人者です。彼は多数のスートラやタントラの翻訳、特にサムデとロンデというゾクチェンの教えの3つのカテゴリーのうちの二つをチベットにもたらす使命がありました。
 ヴァイローチャナはパチェル一族のドルジェ・ギェルポの息子としてツァンのニェモ・チェカルに生まれました。彼は幼少期に空を飛んだり、岩に印を刻んだり、未来の出来事を予言したりと、多くの奇跡的な力をあらわしました。また彼は並外れて高い知能を持っていました。

 グル・リンポチェの予言的な忠告に従って、ティソン・デツェンはヴァイローチャナをサムイェーに招き、翻訳者として彼を訓練しました。ヴァイローチャナは、シャーンタラクシタによって選ばれた最初の7人のチベット僧の一人となり、ヴァイローチャナクシタという名を与えられました。8つのマンダラの偉大なサーダナのエンパワーメントでは、彼の花はヴァジュラメーントラビルのマンダラの上に落ちました。
 王の命令に従って、ヴァイローチャナとツァンの僧は、最初の布教者としてダルマの教えを探し求めてインドへ行きました。途中57回もの困難に遭い、あやうく命を落とすところでしたが、それらの妨害を乗り越えてインドに到着しました。
 一行はダナコーシャのツェンデン・シルチェの森で極秘にシュリーシンハに会い、ある晩、厳戒な極秘体制の中で、サムデの三つの教えを受け取りました。
 ヴァイローチャナは、白い牛のミルクで白い布の上にサムデの18のタントラを書きとめ、他者の目に触れないようにし、原稿を読むときは煙であぶって文字を浮かび上がらせました。
 同行したレトゥプ僧は、一行の達成に満足してチベットへ出発しましたが、帰路の途上で護衛に殺されてしまいました。

 ヴァイローチャナはさらなる教えを求めてシュリーシンハからサムデの60のタントラの経典と教えのすべてを受け取り、ロンデの三つのカテゴリーについても教えを受けました。ヴァイローチャナは純粋なヴィジョンの中でプラヘーヴァジュラからゾクチェンの640万のタントラ(または節)の教えも授かり、空の智慧の身体の中でマンジュシュリーミトラから祝福を受けました。
 その後、ヴァイローチャナは俊足力でチベットへ帰り、ティソン・デツェン王に、日中は一般的な教えを説き、夜はゾクチェンの教えを説きました。
 また彼は、サムデの18のタントラの最初の五つをチベット語に翻訳しました。

 その頃、数人の嫉妬深いインド人が、「ヴァイローチャナがインドから持ってきた教えは仏教のものではない」という噂を広めるための使いを送り込みました。その誤った行為とツェポンシャ女王と不道徳な大臣たちの影響力によって、王はヴァイローチャナを中国とチベットの国境にあるギェルモ・ツァウェ・ロン(アカ・ギャロン)へと追放するはめになりました。追放されたヴァイローチャナは、ギャロンの王や大臣たち、その種族を仏教に改宗させました。
 ツァンのレトゥプ僧の生まれ変わりであるユダ・ニンポ王子は、ヴァイローチャナの主要な弟子の一人となり、博学な学者となり、また系統の教えの保持者となりました。
 ユダ・ニンポはサムイェーに行き、ヴィマラミトラに会いました。ヴィマラミトラの要求によって、ヴァイローチャナはチベットに戻ってくるように王に勧められました。
 チベットへ戻る途中、ミパム・ゴンポという名前の85歳の男に、ヴァイローチャナはゾクチェンの教えを授けました。ミパム・ゴンポは老齢のために瞑想のための正しい座法を組むことができなかったため、瞑想用の紐と補助の杖を頼りとして瞑想に励みました。そしてその後、その老人は虹の身体を得たのでした。

 ヴァイローチャナの主要な弟子には、ユダ・ニンポとミパム・ゴンポに加えて、リのニャク・ジュニャーナクマーラとシェーラプ・ドルマがいました。シェーラプ・ドルマは後に、リ国にヴァイローチャナを招きました。そこからヴァイローチャナは、ネパールのバシンという森で、虹の身体になって姿を消しました。
 ヴァイローチャナはチベット仏教の卓越した翻訳者であり、多くのスートラとタントラの書物を翻訳しました。ヴァイローチャナの翻訳者としての学識とスキルは、チベット仏教の歴史上のどんな翻訳者よりも絶賛されています。新時代の翻訳期の偉大なる翻訳者の一人であるゴク・ロデン・シェーラプ(1059-1109年)は、次のように語っています。

「ヴァイローチャナは、まるで澄み渡った空のようだ。
 カとチョクは太陽のようであり
 リンチェン・サンポ(958-1051年の新時代の偉大なる翻訳者)は、まるで夜明けの星のようだ。
 そしてわれわれは単なる蛍だ。」

 ヴァイローチャナの転生者とされる人物は多くいます。たとえばタパ・ゴンシェチャン(1012-1090?年)、ドルジェ・リンパ(1346-1405年)、クンキョン・リンパ(1396-1477?年)、チョデン・ドンガク・リンパ(15世紀)、テンポ・シェーラプ・ウーセル(1518-1572年)、ミンリン・テルチェン(1646-1714年)、ロントン・デチェン・リンパ(1663-?年)、ギェルセー・シェンペン・タイェー(1800-?年)と、コントゥール・ヨンテン・ギャツォ(1813-1899年)などがいます。

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