グル・バクティヨーガ(83)「秘密の教えの伝授」
◎秘密の教えの伝授
聖典の秘密の意味、そして古来の教義の深淵な意味は、本を読んだり、講義を学術的に聞いたりしても理解することはできない。一生涯をかけて、素晴らしき尊敬と信仰をもって、師の下に住み、仕える、そのような祝福された弟子たちが、「汝はそれである」や「私はブラフマンである」や「すべてはまさにブラフマンである」などのようなウパニシャッドの言葉を理解し、悟ることができるのだ。
グルの恩寵は(真我の)内なるヴィジョンを与えてくださる。
サットグルは、度重なる懇願と厳しい試練の後に初めて、信頼している弟子に、ウパニシャッドの秘密の叡智を伝える。
ウパニシャッドの伝統によると、ブラフマンの秘密の叡智は、師によって、資格のある息子や信頼を置いているシッシャ(弟子)に授けられるが、その他の者には、それが誰であろうとも――たとえ彼が水に囲まれようとも、宝石で満たされた地球を捧げられようとも、授けられることはない。
弟子は、祝福されたグルにひれ伏した後に、彼に背を向けて立ち去ってはいけない。
師が、ヴェーダーンタの真の意味、そしてそれを如何にして人生のさまざまな場面に応用できるのかを良く知っていれば、子供でさえもが、ヴェーダーンタを教わることができる。
「アルタトゥラナム・ナー・グロール・ナー・バンドゥム(Arthaturanam na Guror na bandhum)」――これは、富を切望する者は、グルの所有物を騙し取ることさえも気にしない、という意味である。
グルの富を欲しがってはならない。
解脱者である祝福されたグルは、常に平安であり、至福である。彼は平等視とバランスのとれた心を持っている。彼は名誉と不名誉、非難と称賛、快楽と苦しみを平等に見る。彼はエゴイズム、プライド、怒り、色欲、貪りから解放されている。彼には好き・嫌いがなく、何にも執着しない。彼は智慧で満たされている。彼は子供のようで、その存在だけで、またはその慈悲深い眼差しだけで、弟子の疑念を晴らすのだ。
貧者や病人に仕えること、グルや親に仕えること、慈善や気高き行いをすること、グルの恩寵によって真我の叡智を得ることは、まさに最上の祝福である。
グルへの直接的な奉仕ほど、浄化力のあるものは存在しない。
グル・クリパー(グルの恩寵)とは、解脱への過酷な道を一緒に付き添ってくれる信頼できる友である。
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