クンサン・ラマの教え 第一部 第三章「輪廻の苦しみ」(3)
2.餓鬼
餓鬼には二種類ある。集団で生きる餓鬼と、場所を移動する餓鬼である。
(一)集団で生きる餓鬼
この種の餓鬼は、外界に対する妄念、肉体の妄念、あるいは他の特定の妄念に苦しむ。
外的な迷妄に苦しむ餓鬼:これらの餓鬼は、ひどい飢えと渇きに苦しむ。何世紀も、水という言葉さえ聞くこともなく生きる。食べ物と飲み物のことにいつもとらわれて探しているが、ほんの少しも見つけることはできない。
時々、澄んだきれいな川を見ることがある。ひどく苦労し、疲れ果ててようやくそこにたどり着くと、水は完全に干上がり、石だらけの川底があるだけであり、落胆しさらなる苦しみを味わう。
遠くに、果物のなった木が生えた果樹園を見ることがある。苦労して近づいてみると、木々はすべて枯れ果てている。
たくさんの食べ物や飲み物などを見ることがあるが、近づいてみると武装した多くの男たちが守っていて、彼らに武器で追い立てられ、打ち据えられて、ひどい苦痛を味わう。
夏は月明かりさえ焼けるように熱く、冬は太陽さえ氷のように冷たく感じる。
昔、聖者シュローナが餓鬼の世界を訪れたとき、餓鬼たちの強欲さの毒の影響を受けて、熱を出して唇が完全に乾いてしまった。彼が鉄の城を横切ったとき、扉のそばに、赤い目をした恐ろしく陰鬱な姿があった。
「どこかに水はありますか?」とシュローナが聞くと、餓鬼の集団が、彼を松明の明かりのように見て周りに集まってきて、「とても偉大な方よ、水をください。ここに生まれてから今日まで、水という言葉を聞いたこともありません」と言った。
肉体の渇愛に苦しむ餓鬼:この種の餓鬼は、針の穴よりも小さい口をしている。また口の中が毛のように細いため、水を飲んでも、喉元を過ぎるまでに自分の呼吸の熱で蒸発してしまう。どうにかしてほんの少し飲んだとしても、胃袋が一つの国ほどもあるために、満たされることがない。たとえ何とかして胃袋が満たされるほど飲んだとしても、夜のうちにその水が炎に変わってしまい、肺や心臓などを焼いてしまう。また、腹が巨大に膨らんでいて、手足が草のように細いため、動こうとしても身体を持ち上げることもできない。
様々な渇愛に苦しむ餓鬼:この種の餓鬼は、個々様々な苦しみを経験し、その苦しみの度合いも個々によって異なる。例えば、多くの生き物が体内に住み着き、体を食われている餓鬼もいる。
聖者シュローナがかつて餓鬼の世界を旅していたとき、ある場所で美しい女性に出会った。高価な宝石で優美に飾られて美しかったが、彼女が座っている椅子の四つの脚にはそれぞれ餓鬼が縛られていた。その女性はシュローナに食べ物を捧げて、餓鬼には決して食べ物を与えてはいけませんと忠告した。シュローナが食べ始めると、餓鬼たちは食べ物を乞い始めた。そこでシュローナが分けてやると、ある餓鬼が手に取った食べ物はもみ殻に変わってしまった。次の餓鬼が手に取った食べ物は鉄の塊に変わり、その次の餓鬼が手に取った食べ物はその餓鬼自身の肉に変わり、さらにその次の餓鬼が手に取った食べ物は血と膿に変わってしまった。
そこで女性は叫んだ。「何もあげてはいけないといったはずでしょう!? あなたは自分のした行為が慈悲深い行為だと思っているのですか?」
「あなたとこの餓鬼たちはどういう関係ですか?」とシュローナが聞くと、女性は答えた。
「これらの餓鬼は、かつてわたしの夫、息子、息子の嫁、そして召使いだった者です。」
「どのような行ないが原因となって、あなたはここにいるのですか?」
「わたしは村のブラーフマナの女性でした。ある晩、おいしいごちそうを作りました。その日は吉日だったのです。そこへ、偉大な聖者カッチャーヤナ様が、たまたま托鉢にやってきました。わたしは彼のことを信仰していたので、そのごちそうを捧げました。
そして、わたしの夫もこの功徳を得たいだろうと考えて、『わたしは仏陀の弟子である偉大な聖者カッチャーヤナ様に施しをしました。あなたもそれを随喜してください』と夫に言いました。すると夫は怒り、『ブラーフマナに食べ物を捧げないうちに、禿のサマナ(仏教の出家修行者)に最初の料理をやるなんて! あんな奴らにはもみ殻でも口に詰めてやればいい』と言いました。
同じことを息子に言うと、息子も怒り、『あんな禿げ頭には鉄の塊でも食わせてやればいい』と怒鳴りました。
そしてその夜、わたしの両親がおいしい料理を作ってわたしに送ってくれたのですが、息子の嫁が全部食べてしまって、わたしには何も残してくれませんでした。わたしが彼女に『わたしには何も残さないで全部食べてしまったの?』と聞くと、彼女は噓をついて、『あんたのための料理に触れるくらいなら自分の肉を食べたほうがまし』と言いました。
また、召使いが料理を食べて、わたしの家族の分がなくなってしまいました。しかし彼女も嘘をついて、『あなたから料理を盗むくらいなら血と膿を飲んだ方がまし』と言いました。
わたし自身は聖者への施しの果報によって三十三天の神々の世界に生まれ変わることができましたが、こんなひどいことをする彼らがどんな運命をたどるか心配でたまらず、彼らの行く末を見届けたいと深く祈りました。こうして今は彼らを召使いとしながら、餓鬼の世界で生きているのです。」
餓鬼に生まれることで受ける様々な苦しみ、特に飢えと渇きを想像しなさい。もし、水という言葉さえ聞けないようなところに生まれ変わったら、どのように感じるだろうか?
餓鬼に生まれ変わる主な原因が、物惜しみと他者に対する不寛容であることをよく考えなさい。わたしたちは今までに何度もそのような行ないを犯してきた。そのため、餓鬼に生まれ変わらずに済むように、あらゆることをしなくてはならない。心の底からそのように考えなさい。
(二)場所を移動する餓鬼
これらの餓鬼は、チベットでは様々な名前で呼ばれ、常に恐怖と幻覚の中で生きている。悪しきことだけを考えて、いつも他人に害を加えており、ここから死んでもすぐに地獄に落ちることが多い。
病気、武器、その他によってもたらされた生前の苦しみが、何度もよみがえってきて苦しめられる。自分の痛みを他人に与えたいと思い、どこに行っても常に害をなす。自分の昔の友達や愛する者を訪ねて幸せな気分のときでさえも、病気や狂気などの苦しみをその相手に与える。
また彼らは常に拷問を受けており、強力な魔術師が、彼らを埋め、焼き、あらゆる種類の幻の武器で痛めつける。永い間地面の下の暗闇に閉じ込められ、炎で焼かれ、激しく打たれる。頭は何百もの破片にバラバラにされ、体は砕けて千の破片となる。
この種の餓鬼も、他の餓鬼と同様に誤った認識を持っており、冬には太陽が冷たく感じ、夏には月が燃えるように感じる。鳥、犬などの動物のようなおぞましい姿をしている者もいる。
この種の餓鬼についても、同様に瞑想しなさい。これらの餓鬼の苦しみを想像して、餓鬼に対して慈愛と慈悲の思いをはぐくみなさい。