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クリアーライトのヴィジョンとゾクチェンの修行の秘訣の教え(7)

 己の見当違いによって、自分が思い描いた「空」に憧れ、それが実際に存在すると思っている者たちは、智覚的に顕現する空性とは異なる空性を目指して進む。「空性に固着する」という罠にかかり、彼らは解脱を求めながらも、空の概念で遊び、絶えず「その境地」を変造している。このようにして、解脱を求める者たちが、「その境地」を絶えず変造しようとしているならば、永遠主義と虚無主義からどうして逃れることができようか?

 そのような者たちは、智覚的に顕現する空性を、単なる空性へと押し下げることによって侮辱し、極端な虚無主義へと陥る。また、空性を至高なるものと見なし、それを真実だと見なす――このような者たちは、限定的な永遠主義に陥る。ゆえにその者たちは、虚無主義と永遠主義という地獄から逃れることができないのだ。

 最初から、ゾクチェン(完全なる完成)には支えも根もない。例えば、すべての世界、そしてその世界に生きる存在たちはすべて、四大元素で構成されている。これらの元素一つ一つの存在は、空(空間)に依存している。しかし、空(空間)は何にも依存していない。同様に、一切の現象はダルマターの真の本性であるゾクチェンに依存しているが、ダルマターは何にも依存していない。ゾクチェンには依存するための基盤は必要ないので、何も支えを持たないのである。

 輪廻とニルヴァーナの現象が、第一原因あるいは第二原因によって生み出されている間も、ダルマターの境地は完全完璧である。どんな根も、それを生み出すことは絶対にできない。それには根がないからだ。ダルマターは、何の支えも何の因も必要としない。それは最初から、常に、如何なるときも、けがれることなき不変なる存在であり、原初から完全無欠なのである。

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