ガウリー・マーの生涯(2)
家族によって与えられたガウリー・マーの本名はムリダーニーでしたが、彼女はまたルドラーニーとも呼ばれました。彼女の出家名はガウリー・プリで、シュリー・ラーマクリシュナとホーリーマザーはよく彼女のことをガウル・ダーシー(ガウラーンガのしもべ)と呼ばれました。
また、彼女の肌の色がシヴァの配偶者である母なる女神ガウリーのそれのように黄金色だったので、彼女はガウリー・マーとして知られるようになりました。
ガウリー・マーは7人の子供の4番目として1857年に生まれました。彼女には、2人の兄弟と4人の姉妹がいました。彼女の父親パールヴァティ・チャラン・チャットパーディヤイと母親ギリバラ・デーヴィーは、ともに熱心に神に献身していました。
パールヴァティ・チャランは正統派のブラーフミンで、彼は、ときどきヨーロッパ人の上司に嘲笑されているにもかかわらず、額に宗教的な印をつけて会社に行っていました。
ギリバラはとても心優しく、また非常に有能でした。彼女はたくさんの宗教歌や賛美歌を作曲し、それらはナーマサーラとヴァイラーギヤ・サンギーターマラで出版されました。彼女は、自分の父親の富や財産を相続していたので、家族全員がカルカッタの邸宅でほとんどの時間を過ごしていました。
かつて、ある占星術師がガウリー・マーについてこう預言しました。
「この少女はヨーギニーになるだろう。」
幼少の頃から、彼女は家族の聖堂を飾ることが好きで、彼女独自の方法で主を礼拝していました。
彼女はしばしば貧しい人たちや無力な人たちに施しを与えていました。また、彼女は厳格な菜食主義者であり、おいしい食べ物やおしゃれな服を欲しがったことは一度もありませんでした。
ある日、彼女は兄とボートである場所に出かけました。その途中で、彼女は思いました。
「どうして女性は宝石を身に付けるの? もしわたしがどんな装飾品も持ってないとしたら、わたしは不幸でなければならないのかしら?」
彼女は手首に家族が与えてくれた金の腕輪をつけていました。ふと思いついて、彼女はそれをはずし、噛んでみました。金にまったく味がないと分かったとき、彼女はそれをガンガーに投げ捨てました。
その後、もちろん彼女は両親に叱られました。
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