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カル・リンポチェの生涯(8)

◎同一人物か別人か?

 カル・リンポチェは隠遁生活のことを秘密にしておきたかったのだが、数人の羊飼いたちが、洞窟に居住者がいることに気付いてしまった。初め、彼らはそこに狂人が住んでいるのか、はたまたラマが住んでいるのか、見当がつかなかった。彼らが近づいてみると、その人はヨーギーであることが分かった。こうして彼らはツァンパ、凝乳、他の食物を持って彼のもとを訪ねるようになった。名を尋ねると、彼は「わたしの名はカルマです」と答えた。こうして遊牧民はみな「ラマ・カルマ」という人を賞賛し合った。

 しかし騒動が大きくなりすぎてしまったので、カル・リンポチェはより一層人里離れた他の場所を探すことにした。彼は森林地域へ赴くと、大きな木の下に腰を据えた。彼は衣服を身につけず、大きな葉を積み重ねて、首まで体を覆った。長い間、そのような奇妙な格好で隠遁生活を送っていたので、もはや人間なのか魔的な生き物なのか分からず、一部の人々に恐怖を抱かせるほどであった。彼の名前を尋ねると、彼は菩薩の誓いを立てたときに授かった名前を用いて、「わたしの名前はロドゥです」と答えた。それゆえに、そのころ人々は「ラマ・ロドゥ」について語り合っていたという。

 しかし、またしても訪問者は後を絶たなくなり、彼はこの地をも離れ、少量のツァンパと、お湯を沸かすためのストーブとして用いる三つの石以外は何も持たずに、ある洞窟へと向かった。概して洞窟で瞑想するヨーギーたちは快適な環境を望まないが、少なくとも必要最低限の物は所有していた。しかしカル・リンポチェは完全なる貧困の中で生活を送っていたのだ。
 のちにカル・リンポチェが隠遁所を設立した際、時折、隠遁修行者たちが、隠遁室の湿気や狭さ、その他の不備について不満を漏らしているのを耳にした。彼は不満を漏らす者たちに「あなたの言うとおりです」と答えると同時に、笑いをこらえることができなかった。

 ときどき彼が隠遁生活のために選んだ別の場所は、夏季にだけ行くことができる高地の湖の近くにあった。彼は冬場のある期間はそこで過ごしていたので、誰も彼のもとへ食物を持っていくことができなかった。
 彼は場所を変えるたびに名前も変えていた。カムでは、一部の人々が「ラマ・カルマ」という有名な隠遁者について語り合うのを耳にした。――また他の人たちは有名なヨーギー「ラマ・ロドゥ」について――また一方では独居瞑想家「ラマ・誰それ」と。誰も、それが異なる名前を持つ同一人物であるとは思いもしなかった。

 カル・リンポチェは、十二年にわたり人里離れた隠遁生活に留まっていたと人々の間で広く信じられてきたが、ラマ・ギャルツェンのより正確な計算では、それは十五年間であったと思われる。
 そしてカル・リンポチェは、シトゥ・リンポチェとラマ・ノルブの要望に応えて、隠遁所を設立し、監督することで、衆生救済の活動を始めた。その後、彼はカムを皮切りにチベット各地で、僧や在家の人々にも教えを説いた。

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