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カル・リンポチェの生涯(4)

◎息子を手放さない父親

 子供が成長すると、父親は読み書きを教えた。子供は極めて優秀で、すべてのものを難なく吸収するようだった。近所の人々はこの人並みはずれた少年を疑いもなくトゥルクであると思い始めた。そして、彼らは気難しいと知られているラタク・トゥルクにこのことを話した。しかし彼は、息子についてそのようなことを話すのは望ましくないと答えた。

「わたしの息子が、特別な子供だって? おそらくそうでしょう。だが、もしそうであるならば、彼自身がいつかそのことを明らかにするでしょう。ですので、それまでは彼についてそのように話すことを禁じます。」

 それから間もなくして、その息子はべゲン僧院の僧衣を身に付けるようになった。この僧院にはトゥルクがおらず、そのことが不利な立場と見なされていた。僧院長はラタク・トゥルクと話をした。

「この子はあなたの息子であり、そしてあなたご自身がトゥルクであられる。またこの子は人並みはずれた素質を備えているように見受けられる。われわれの僧院にて、彼にトゥルクの称号を与え、即位させてもよろしいでしょうか?」

 ラタク・トゥルクは今一度、鋭く返答した。

「この子がわたしの息子だから偉大であると見なし、彼へ捧げものとして、トゥルクの称号を授けたいと望んでいらっしゃるのでしょう。しかし、このような話は聞きたくありません。もしわたしの息子が素晴らしい存在であるならば、彼が大人になったとき、自ら明らかにするでしょう。今それを言っても無駄です。ですから、意見や提案をするのはやめてください。わたしの息子は、今現在、ただの僧であります。ゆえに現時点では、息子に対して普通の僧と異なる待遇をしてほしくないのです。」

 またあるときには、少年はペルプン・シトゥ・リンポチェ、ゾクチェン・コントゥール・リンポチェ、 シェチェン・コントゥール、 そしてカドゥ・シトゥらの高位のラマたちにお会いした。彼らもまた、彼の素質に気付き、確実にトゥルクであると断言し、ジャムグン・ロドゥ・タイェの放射であることに疑いの余地がないと主張した。さらにジャムグン・ロドゥ・タイェにより設立された僧院ツァドラ・リンチェンドラへ彼を連れて行くことが名案だと考えた。
 しかし、ラタク・トゥルクの答えに変わりはなかった。

「おそらく、わたしの息子はトゥルクです。将来分かることでしょう。しかし、さしあたって当面は即位を進めずに、一介の僧として人生を歩むことをお許しいただけますようお願いいたします。」

 ゾクチェン・コントゥールとシェチェン・コントゥールも譲らなかった。その子を即位のためにジャムグン・ロドゥ・タイェの僧院に連れて行く必要はないと認めながらも、とりわけ徹底した訓練を行なうために、僧として彼らの僧院に留まることを望んだ。だが、ラタク・トゥルクは揺るがなかった。彼は誰にも息子を預けようとはしなかった。

 若きカル・リンポチェはベゲンの僧院で学び続け、あまりにも優秀であるがゆえに、十一歳にしてケンポの称号を授与された。このことは新たな驚嘆を生み、誰もが称賛した。本来ならば十二年間の修行と、大人並みに成熟した智慧を必要とするこの称号をを短期間で体得したこの子の知性は、ずば抜けて天才的であったのだ。

 この修行期間中、この子は修行に専念するだけではなく、チベット仏教の全宗派の偉大な師から、伝統的な伝承の基礎(アビシェーカ、儀式、読誦および解説)を授かった。 彼は、シトゥ・リンポチェから重要な位を授かり、カルマ・ランジュン・クンキャブという名前を与えられた。
 この名前は、彼の活動が自発的(ランジュン)、かつ普遍的(クンキャブ)に――つまり言い換えるならば地球全体に広まると予言していた。

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