カルマ
私の教室に来ているある生徒さんは、過去に堕胎の経験があった。
ヨーガの教師をしている関係上、そのような相談を受けることは多い。
一応断っておくと、正統的な仏教やヨーガの教えでは、水子霊がどうとか、霊障とか、先祖霊とか、霊を供養するとか、そういう考えは一切ありません。なぜなら人は死に、解脱しない限りは誰もが輪廻し、また全く関係ない世界に生まれ変わっていくからです。
しかし魂は当然、受胎の瞬間から肉体に宿る。だから堕胎も、殺生という重い罪を積んでしまったことになるわけですね。霊がどうこうと気にするより、その自分の殺生のカルマを気にしたほうがいい。
もちろん、そこに男性側の意志があるとしたら、男性も殺生のカルマを積んだことになるでしょう。そしてもちろん、それを実行した医師も、殺生のカルマを積んだことになります。
カルマというのは非常に数学的で、情状酌量の余地はないのです。
さて、殺生のカルマというのは、単純に言うと、将来、自分も殺されるということです。あるいは別の形の場合、殺されないまでも、怪我とか病気とか、肉体的苦痛を味わうかもしれない。
ところで、現代人は通常、多くの殺生をして生きていますね。人が一生のうちに殺す虫や小動物の数といったら、はかり知れないでしょう。
信仰心のあるインド人やチベット人の前で蚊を殺したりすると驚かれる場合があります。「セブンイヤーズ・イン・チベット」という映画の中でも、チベット人が建築の整地の際、土を掘ってミミズが出てくるたびに、殺さないように逃がしてあげるため、なかなか作業が進まないというシーンがありましたね(笑)。
しかし現代の日本人は、一応仏教徒なのに、頓着なく多量の虫を殺しますね。
それらのカルマがすべて返ってくるとしたら、これは大変です。何億回も殺されなければなりません。それは普通は人間界などでは不可能なので、そういう魂のカルマの受け皿として、地獄という世界があり、そこで何億回も肉体を切り刻まれたりする幻影と恐怖を味わうわけです。
さて、話を戻しますが、堕胎というのは、気軽に行なう人もいるようですが、通常の殺生よりも重いカルマになります。それはいろんな理由がありますが、ここでは長くなるので言及は避けます。
先ほどの生徒さんは、本来、活発で幸福な人生を送ってきたそうですが、堕胎後、憎しみや怒りの感情が強くなったそうです。そして心が不安定になり、うつ病になりました。そして三年ほど、家にこもりきりになっていました。
そして数ヶ月前、縁あってわたしのヨーガ教室にやってきました。
彼女は足は細いのに、蓮華座(結跏趺坐)が組めませんでした。そして自分の肉体の痛みに極度に敏感で、アーサナを少しやるだけで痛みを訴えて叫んでいました。
さて、殺生のカルマというのは、先ほどあげた、将来自分も殺されるとか、将来肉体的苦痛を味わう、というだけではありません。それは「カルマの返り」という意味ではそうですが、他にも変化が生じます。
まず精神的に憎しみや怒りが強くなり、殺伐としてきます。
そして精神不安定になり、恐怖心が強くなるでしょう。
そして実際、人間関係も殺伐としてきます。
現象的には、肉体の痛みに敏感になります。特に足に痛みが出るので、蓮華座などが組みづらくなります。
この彼女は、これらすべてが現われていました。ですからわかりやすい例として、今回、題材にさせていただきました。
さて、私は彼女に、殺生のカルマの恐ろしさを教え、心の罪悪感をごまかさずに懺悔して心を整理することと、対抗策として、周りに対する慈愛の心の訓練をすることを勧めました。
そしてそれに加えて、ヨーガ修行によって気のつまりを通し、特に痛みに耐えて蓮華座を組み続けることを勧めました。
そしてそれから数ヶ月。先日、この彼女と、しみじみと話をしました。変わったねえ、と。
彼女は穏やかになり、虫も殺せないような心の優しさを取り戻しました。また心の暗さも消え、前向きになりました。
以前は自分勝手でかなり自己中心的でしたが、人の良いところを見、学ぶ癖がついてきました。
蓮華座も長く組めるようになり、自分の体の痛みにもあまりこだわらなくなりました。
まだ精神が完全に安定したわけではありませんが、ふさぎ込んだりする時間は極度に少なくなりました。
短期間でこれだけ変わるのは、もちろんヨーガの力もありますが(笑)、彼女自身の資質もあるでしょう。しかし殺生のカルマが、彼女の人生のすべてを狂わせていたわけです。
殺生のカルマのみならず、人間は様々なカルマにがんじがらめになって生きています。そのカルマというのは、「やったことが返ってくる」というだけではなく、今回の例の様に、精神状態や肉体の状態、そして性格や人間関係にも影響を及ぼします。影響を及ぼすというよりも、それらカルマの束縛が、我々の人生そのものということができるでしょう。すべてのカルマから解放されたら、それは解脱です。
だから少なくともまず私たちは、悪しきカルマの束縛から脱しなければいけません。しかし今回のようなわかりやすい例は稀で、普通は様々なカルマがこんがらがって、わけがわからなくなっていることでしょう。
だからあらゆるカルマに対抗できる方法として、ヨーガや仏教が勧める「正しい生き方」を学び実践すべきなのです。そして懺悔を繰り返し、心の掃除と整理をすべきです。さらにヨーガによって気の流れや肉体の面からも、カルマの浄化に励むことです。
昨今、精神世界が流行ってきたのはいいのですが、何でも霊のせいにしたり、あるいはカルマという考えが間違って受け取られていることが多いようです。カルマの法則にしろ、ヨーガや仏教の世界観にしろ、本来はオカルティックなものではありません。
悪しき行為や心によって必然的に生じた自分の宇宙のひずみ、これが端的に言うと悪しきカルマに縛られた状態であり、それを本来の純粋でプレーンな状態に戻す試みこそが、ヨーガや仏教が勧める修行であり、生き方なのです。
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