カダム派史(6)「ドムトンへの法の委託と、アティーシャの死」
6.ドムトンへの法の委託と、アティーシャの死
ドムトンとアティーシャが出会って以来、アティーシャの身の回りの世話の多くをドムトンがおこない、アティーシャもドムトンを最も信頼した。
サムイェーにいたとき、アティーシャは密教の多くの教えをドムトンに伝授し、またチンプーにおいてはドーハーをはじめとする多くの密議をドムトンに伝授した。
しかしドムトンは、間違った密教がチベットにはびこっていたことを憂慮していたため、「私はアティーシャから密教の教えは全く受けなかった」ということにしておいた。これについて後にドムトンを非難する者もいた。
アティーシャはドムトンに、
「おまえは小院を建てよ。私の諸々の教えをおまえに委託するので、受持せよ。」
と言って、多くの弟子の中から、在家信者であるドムトンを、自分の後継者に指名した。ドムトンは、
「私は価値が少ない者です。また私は在家信者ですので、大いなる使命を成就することは難しいと思われます。」
と答えたが、アティーシャは、
「私が教えたことにしたがっておこなえば大丈夫だ。私がおまえを祝福するので、心思い煩う必要はない。」
と言った。
そしてアティーシャは、1054年の中秋の二十日に、肉体を捨ててトゥシタ天に逝った。
1056年、アティーシャの信者たちの招請を受けて、ドムトンはラデンに到着した。そしてそこに、アティーシャの遺言にしたがって寺院を建てた。そしてドムトンは、
「私は今から後、世事に心を遣うことを一切やめる。」
と言って、その後、説法することを除いて、世事には一切関与しなくなった。