カダム派史(11)「シャルワパの弟子 チェーカワ」
6.シャルワパの弟子 チェーカワ
チェーカワは幼少時にロド・レーチュンワという修行者の弟子になり、その後、正式に出家し、イェシェー・ドルジェと名付けられた。
あるときチェーカワは、ランリ・タンパが著した「心を訓練する八つの詩」を聞いて、信を生じた。
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「心を訓練する八つの詩」
如意宝珠にもまさるすべての衆生の最高の幸福を実現しようとの決意をもって、いつも彼女たち(母なる衆生)を慈しむことを学べますように。
いつであれ、他者と交流するときは、自分自身を最も劣った者と見なし、自らの心の奥底から、他者を優れた者として慈しむことを学べますように。
あらゆる行為をするときに、心の中でよく吟味することを学べますように。
自分と他者を危機に陥れる思いが起こったならば、すみやかに断固としてそれに立ち向かい、退散させることができますように。
性根の悪い人たち、悪行や苦しみによって強くさいなまれている人たちを大事にすることを学べますように。
あたかも貴重な宝を見いだしたかのように。
他者が妬みから悪口、中傷などをもって私を不当に扱うときも、損失はすべて私が引き受け、勝利は他者に与えることを学べますように。
自分が大きな期待をもって尽くした人が理由もなく私をひどく傷つけるときも、すばらしい心の導き手として、その人を見なすことを学べますように。
要するに、直接的にも、間接的にもあらゆる手助けと幸福を、我が母なるすべての人々に例外なく与えることと、我が母なる人々のあらゆる危害と苦しみを謹んで私が引き受けることを学べますように。
これらすべての心の訓練が、八つの世間的な関心物の垢によっては汚されないことを学べますように。
また、あらゆる現象は幻のようであると理解することによって、執着の束縛から解放されますように。
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その後、30歳になったとき、ブトゥという地において、ランリ・タンパの弟子と出会った。彼がこの「心を訓練する八つの詩」を唱えたので、「それは誰の作った詩ですか?」と尋ねると、彼は、
「これは私の師であるランリ・タンパのお作りになった詩です。ランリ・タンパ師はすでにお亡くなりになりました。」
と答えた。
しかしそのランリ・タンパの後継者の座を二人の弟子が争っていると聞いて(実際には譲り合っていたといわれる)、チェーカワは彼らに会いに行く気をなくし、ランリ・タンパの兄弟弟子であるシャルワパに会いに行った。
そのときシャルワパは、多くの信者に法を説いていたが、「心を訓練する八つの詩」については全く触れられなかった。
そこである日、信者たちが祭礼に行ってしまったのを見計らって、チェーカワは、ストゥーパをまわっていたシャルワパに近づき、自分の座具を広げて、
「どうぞここへお座りください。」
と言った。
「ここに座ってどうするのか。」
「お聞きしたいことがあるのです。」
「私は説法の中ですべてを話している。それ以上に何を尋ねたいことがあるというのか。」
「私はランリ・タンパの『心を訓練する八つの詩』という詩を聞いて、信が生じたのですが、これは『道』となるでしょうか。」
「あなたに信が生じたとか生じないとかの問題ではない。あなたがブッダになりたいと思わないならば、他に去れ。しかしブッダになりたいと思うならば、その教えは不可欠なものである。あなたはそのような不安な心を持っていて、どうして目的を達成できようか。」
「この詩は、どのような経典に基づいているのでしょうか。」
「救世主ナーガールジュナに基づかないものがあろうか。彼の教え(ラトナーヴァリー)の中で、
『すべての衆生の悪が私において成熟し、私の善はすべて衆生において成熟しますように』
と言われているではないか。」
「では、そのウパデーシャをお授けください。」
「あなた自身が機縁に耐えよ。私はウパデーシャを漸次になすのみだ。」
こうしてシャルワパは、実に13年もの時を費やして、この「心を訓練する八つの詩」の深い意味をチェーカワに伝授した。チェーカワは13年にわたってそれを学び、完全にそれを体得した。
その後チェーカワは、一カ所にとどまらずに放浪して生活をした。そしてあるときから、深遠であるがゆえに「秘密の教え」とされてきた「心の訓練」の教えを、一般大衆に向けて説き始めた。「心の訓練」の教えが多くの人に説かれるようになったのは、このチェーカワの代からなのである。
チェーカワは、亡くなる前に、自分の人生を振り返って、このように述べた。
「故郷や友人を振り捨てて
無執着の善根をなせり。
素晴らしき師のもとへ行き
教えの学習・思索・瞑想の三善根をなせり。
われ、今死すとも悔いはなし。
王族を近親者として供養せず
ぼろを縫い合わせた衣をつけ、卑しい地位を受ける。
誰と一緒にいても、嫌悪することも執着することもない。
名声をなさず、財宝を集めず、
われ、今死すとも悔いはなし。
俗世の事柄や出家の事柄に心とらわれることから遠く離れ
施主を神のように敬うことから遠く離れ
尼僧の恭敬を受けることから遠く離れ
マハーリシの解脱行を自己の身に行ず。
われ、今死すとも悔いはなし。
美貌や富貴を求めることなく
金の貸し借りもなく、取引もなさず、
楼閣に住まず、定住の家も持たず、
われ、今死すとも悔いはなし。」
チェーカワは1101年に生まれ、30歳の時に、当時61歳だったシャルワパに弟子入りした。そして1175年、75歳でこの世を去った。