アラク・ド・ガクへのアドヴァイス(9)

あらゆる雑念は遊戯の道具のように
無執着で遊ぶ幼子のような覚醒力のために敷かれ
六道の老いた母たちは慈悲の焦点として座し
功徳の源たる供養は、回向の巧みな手によって分かち合われる。
悟りや見解などについての話はすべて空虚だ!
歓喜や明晰さを忘れよ。それらは一時的な陶酔に過ぎない!
慈悲を本質とする空性を育め。
あなた自身と衆生の幸福はそこにあると言われる。
報いを期待して百年の間、努力を尽くしても
最高の成就は遅れるだけ。そう教えられている。
七つの執着から離れた六つのパーラミターの道において
今生で悟らなくとも、後悔は決してない!
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