「14の密教の戒律」
◎十四の密教の戒律
【本文】
十四の密教の戒律
この十四の戒律は、これらを完璧に十六生の間守ることができたならば、それだけでも解脱してしまうといわれる強力なものです。
もちろん、さまざまな修行を行いつつ、この戒律をしっかり守るならば、とても速やかに修行は進んでいくことでしょう。
これはすごいですね。つまり、言ってる意味分かる? みなさんが一切、たとえばムドラーもやらない、教学もしない(笑)、寝てばかりいたとしても、この十四の戒律を十六生守ったら、それだけで解脱すると。
しかし十六生守るって大変だよね。だって来世覚えてるかっていう問題がある。――っていうことは来世、自然にそれが身についてるぐらい、今生徹底的に自分の中に根付かせなきゃいけないっていうことだね。それでもし仮に十六生そればっかり守られたら、それだけで解脱しますよっていうぐらいの強力なもんだと。
で、もちろん実際的にはそれを守りながら、さまざまな修行を行なう。それによって非常にスピーディーに修行が進むでしょうと。
【本文】
一.自分の師匠をバカにしたり悪口を言ったりしてはいけない。
密教においては、顕教よりもはるかに、師と弟子の強いつながりが強調されます。なぜならオーソドックスな方法だけではなく、個々の素養を見抜いて、師はさまざまな絶妙なやり方で弟子を導いていくからです。
もちろん、誰に対してもバカにしたり悪口を言ったりすることはよくありませんが、密教においては師へのこのような不遜な態度は、修行から自分を転落させるほどの大きな過ちとなります。
はい。あんまり細かい説明はしませんので、もし途中で質問があったら言ってくださいね。
【本文】
二.決められた修行を軽く見ておろそかにしてはいけない。
古から正しいとされる修行、あるいは師が個別に与えた修行を軽く見て、自分の考えでそれを行なわなかったり、軽く扱ってしまうと、過ちを犯します。
なぜなら密教の道は、非常に微妙なテクニックを使っているからです。自分の見解で【重要ではない】と思うことも、実は非常に重要な意味を持っていることがあります。だから傲慢にならずに、師の言葉に従わなければなりません。
三.法友をバカにしたり悪口を言ったりしてはいけない。
同じ道を歩む法友たちとの縁は、非常に大切なものです。特に密教の道の法友の貴重さは、はかり知れないものです。よってその縁を決して傷つけてはいけません。
四.慈愛を捨ててはいけない。
ここにおいて、慈愛の定義について考えなければなりません。それは端的に言えば、すべての衆生に対して、真の幸福を得てほしいと願うその心と、実際の実践であるといえます。
つまりまずすべての衆生ということが重要なのです。つまり、もしたった一人でも、【幸福になってほしい】と思えない相手がいたとしたら、それは慈愛ではないのです。別の言い方をすれば、たった一人に対してでも、【幸福になってほしくない】と思ってしまったら、この戒律を破ったことになるわけです。
そしてもう一つ、【真の幸福】ということが重要です。もちろん、相手のカルマに応じて、幸福は願われなければなりませんが、最終的にはすべての衆生が、真の幸福である悟りや解脱、そして菩提心を得てくれることを願うのです。だからただ現世的に幸福になってほしいと願うことが慈愛というわけではありません。
五.菩提心を捨ててはいけない。
菩提心とは、『すべての衆生を救うために、私は全智を得て仏陀になろう』という勇猛な心です。
密教の道に入る人は当然その前段階でこの菩提心を培っていなくてはいけません。
しかし、一度この菩提心を発こしても、たとえば修行の途上において精神的に打ちのめされたり、挫折したり、あるいは衆生を救済することや仏陀になることの大変さに恐れをなし、『自分には菩薩の道など歩めない』と意気消沈したり、菩提心を捨てたくなることがあるかもしれません。
もともと菩薩の道というのは険しく大変な道なので、何度も失敗や挫折をするのは当たり前なのです。それを心にとめ、何度も何度も立ち上がる不屈の心を持たなければなりません。そうではなく、少し壁にぶつかっただけで菩提心を捨てたり、菩薩の道をあきらめるような思いを持ってしまうと、戒律違反になります。
六.異なった立場の法を批判してはならない。
七.資格の無い者に密教を漏らしてはならない。
八.五蘊をけなし、粗末に扱ってはならない(極端な苦行など)。
九.空の見解を捨ててはならない。
一〇.悪友に献身してはならない。
一一.一日六回、空の見解を呼び起こさなければならない。
一二.他者の信を無くさせてはならない。
一三.密教の修行を拒んではならない。
一四.女性を誹謗してはならない。
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