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「逆境を悟りへの道に」

◎逆境を悟りへの道に

【本文】
3 逆境を悟りへの道に転化する

 衆生と環境からなる世界が悪で満ち溢れるとき、逆境を悟りへの道に変えよ。
 どんな状況にあろうとも、すぐに菩提心をよりどころとして、他の衆生の幸福について熟考してください。
 四つの加行というすぐれた手法をとれ。
 

 この「逆境を悟りへの道へ変える」っていうのは序文の方でも出てきて、前にもちょっと説明したと思いますが、ここでいう逆境っていうのは、二つのレベルがあります。二つっていうのは、個人的な意味と、それからもうちょっと大きな時代的な意味。

 まず個人的な意味でいうと、当然われわれはカルマというのに左右されて生きてるので、もちろんいいときもあれば悪いときもある。あるいは逆境に追い込まれる時もある。あるいは人によっては、一生逆境ばかりっていう人もあるかもしれない。

 ちょっと話が変わるけど、占星術っていうのがあるけども――西洋占星術とインド占星術とあるけど――西洋占星術だと、星の配置があって、で、たとえば星と星の角度によって吉凶を見るわけだけど、最悪の角度って九十度なんですね。分かりますよね。例えばわたしがここにいて、ここにこの星があって、で、こっち側にこの星があるとしたら、九十度になるわけです。これは最悪だと。ただ百二十度だったら最高ですよと。あるいは六十度だったら中吉くらいかなとか、いろいろあるわけだけど。

 九十度は最悪だと。で、この九十度が二つ合わさるとこう「T」みたいな字になる。これをTスクエアっていうんだけど。で、四つ合わさると十字になる。これをグランド・クロスっていって、まあ一般的には最悪なんです。だってつまり凶が四つ合わさって合体してるんだから(笑)。最悪な配置(笑)。

 しかし、これを乗り越えると最高になるんだね。つまり、その人の人生は逆境の連続なんだが、乗り越えたら大変な力の持ち主になる。

 で、ここまで言って言うのは恥ずかしいけど(笑)、わたしもこのグランド・クロスがある(笑)。まあ、この話は一例だけどね、このグランド・クロスの説明でも分かるように、逆境っていうのは悪いもんではない。つまり、乗り越えたときにそれが最高になるんだね。

 で、逆のパターンがあって、わたし昔はね、インド占星術とか西洋占星術とかいろいろ勉強したことあるんだけど、西洋占星術で、今のグランド・クロスと逆で、グランド・トラインってあるんです。グランド・トラインって、さっき言ったように百二十度が最高なんだけど、百二十度が三つ合体した感じ。こう三角形ができるんだね。これはもうすごい幸せな人生。で、わたしが見た中で一番すごかったのが、これはわたしの昔の知り合いなんだけど、この三角形が二つこう、逆の三角形――つまり六芒星みたいな感じになってる人がいて。で、この人は確かにお金持ちの娘さんで、で、何やってもうまくいくんだね、本当に。その人の人生を見てると。全てがうまくいく。ただし、わたしがいろんな人見てきた中では、そのような素晴らしい、いい配置を持っている人って、あまり成長しません(笑)。だから何がいいかってちょっと分かんないところがある。それはいい人生がなるがゆえに、あまり成長しないで終わってしまうこともある。性格的にはちょっと悪くなってしまうときさえある。その甘えた環境によってね。だから何がいいか良く分からない。

 もちろん逆境が必ずしもいいとも限らないよ。逆境によって心がねじくれてしまう人ももちろんいるから。それは人それぞれなんだけど。

 でも修行者にとっては絶対逆境の方がいいです。逆に言うと、逆境がないと修行できない(笑)。順境で修行できる人のほうが、逆にすごいです。つまりほんわかした全てがうまくいってる中で、「おれはもっと頑張るぜ! おれは極限まで修行するんだー!」ってできる人は相当な人です(笑)。

 つまりわれわれは怠け者だから、逆境にならないと駄目なんだね。逆境になって、「あー苦しい! もう逃げ道がない。修行するしかないんですね……」と(笑)。こうなってこうボロボロになって乗り越えないと、なかなかいろんなものを乗り越えられない。

 だから個人的な意味で、逆境っていうのはとても素晴らしい。

◎覚悟を決める

 これも前も言ったかも知れないけど、わたしの経験で、昔――修行してるとさ、みんなもそうだろうけど、そういう時期が来るときがあります。つまり、全てが逆境になる。で、それは、はっきり言うと最高のチャンスです。一般的にいうと非常に不運な時期なんだけど、修行者にとっては最高のチャンスです。

 で、わたしも何回かそういうことがあって、もういろんなことがうまくいかなくなる。あるいは精神的にもすごく弱くなったりとか、ズタズタになったりする。で、昔、自分がそういう時期があって、何をやってもうまくいかない。全てが裏目に出る。精神的にももうボロボロの状態があったんだけど、あるとき、もう行くとこまで行ったようなときに、占いを見たんです。わたしあんまり自分の占いって見ないんだけど、そのとき本当にたまたま何気なく、滅多に見ない占いを――それは中国の占いだったんだけど、占いっていってもそんな軽い占いじゃなくて、本当に歴史のある占いなんだけど。それを滅多に見ないのに見たんです。そしたら、「一年で最悪の日です」って出た(笑)。

 で、これを見たときに、ガラッとわたしの心がチェンジしたんだね。それまでは本当に「あー、苦しい苦しい……」って感じだったのが、もうひたすらその逆境の連続で「あーっ」て感じだったのが、占い見たら「最悪です」とか出たときに、もう笑っちゃったっていうか(笑)。開き直ったんだね。

 そうだ、開き直ったっていうのがいいかもしれない。あの、修行者って開き直りが大事です(笑)。ちょっとこう逃げ道を用意したりとか、こう恐る恐るやってると、なかなかうまくいかない。開き直りが大事です。だから例えば逆境がきて、ちょっとこういう感じで逃げながら手を出しているよりは、例えばこう猛獣がやって来て「うー……」とかやってるよりは、「もうおれを食うなら食え!」ぐらいの感じで(笑)、開き直る心が大事です。そうすると、世界が変わります。逆境が全て、自分を高めてくれるものに変わってしまうんだね。

 で、わたしもそうで、表面的な話じゃなくて、本当に心から、「あ、一年で一番最悪の日っていうことは、今日が一番修行が進む日だ」と心から思えたんだね。で、「不思議なことに」なんだけど、その日からわたしの逆境は終わってしまったんです。パッといろんな苦しいことが起きなくなっちゃったんです。つまりそれは一つ乗り越えて何かが上がったわけだけど。

 あの、苦しみってさ、わたしそのとき思ったんだけど、影みたいなところがあるんだね。影。影っていうのは、逃げると追っかけてくるんです。ね、そうでしょ? 逃げるとって、もちろん逆にだけどね。逆方向に逃げると――つまり馬鹿な人がいて、「何だこの黒いのは?」って言って、「うわー」って逃げてもどんどん追っかけてくる(笑)。でも逃げるのやめるとどうなりますか? ふっとやめると、相手も止まる。影も止まる。で、逆に、影を追いかけるとどうなるか? 影の方が逃げていくんです(笑)。

 つまり、自ら苦しみを追求するぐらいの気持ちになると、苦しみの方から逃げていきます。「あれ? どこいったんですか苦しみは?」みたいな感じになる。

 人間の心の仕組みからいってもそうなんだね。人間ってもちろん、「苦しみたくない、苦しみたくない」って思ってる。「できるだけ苦しみたくない」って思ってる。そこにある種の苦しみが来ると、「うわー、苦しい!」ってなる。

 例えば、ちょっと数字には出来ないけど、「苦しみたくない、苦しみたくない」と。「一すら苦しみたくない。〇.五すら苦しみたくない」――こう言ってる人に五の苦しみが来たら、もうこの世は終わった、ぐらいになる。

 でもそうじゃなくて、逆に「苦しみ来い」と。「十来い」と。十来いって言ってる人に五が来たら、「え? それがどうかしたんですか?」ってなるんだね(笑)。これは覚悟の違いだね。

 もちろん、ただ何の意味もなく苦しみを求めてもしょうがないんだけど――じゃなくて、わたしは菩薩の道を歩くんだと。あるいは、全てのわたしが苦しみだと思っているものは神の愛なんだ、とかね。そういう意味で覚悟を決めるんです。逆境はわたしの修行を最高に進めてくれるチャンスなんだと。覚悟を決める。

 で、覚悟を決めるっていうのは、何度も言うけども、「まあできれば来ないでほしいけど、来たら耐えましょう」じゃないんだよ。「来い!」なんです(笑)。「さあ、来い!」と。「できるだけ来い!」と。「できるだけたくさん来い!」と。

◎祈り

 あの、今思い出したけど、わたし、ヨーガを本格的に始めたのは中学生くらいなんだけど、その前――まあ、だから中学校の低学年の頃か、もしくは小学校の高学年か分かんないけど――その頃ね、小説のね、『宮本武蔵』っていうのが好きで。吉川英治のね。あれをよく読んでたんだね。今漫画になって流行ってるみたいだけど。あの小説が好きで、ヨーガとか始める前だけど、よくそれ読んでて。

 で、まあ宮本武蔵ってのは修行者みたいな人なんだね。剣術家だけど。で、ひたすら自分をこう追い詰めていく。で、その一つのシーンで、武蔵が山に登ってね、神に祈るシーンがある。何を祈るかっていうと、「我に百難を与えよ」と。百の苦の困難、試練をどうか与えてくれと神に祈るシーンがあるんだね。それを見て感動して、かっこいいと思って、近くに山があって(笑)――うち田舎だったから山があるんだけど、その山に登ってね――で、道があるんだよ、山っていってももちろん。あるんだけどわざわざこう林の中を登っていって(笑)、道のない中を登っていって、こう雰囲気を出して(笑)、山の頂上に達して、神に祈ったことがある。

「神よ、わたしにひたすら苦悩を与えてください」

と。真似をしてね。で、それは叶ったんだけどね。

 実はそれだけじゃなくて同時に、「わたしに真実を与えてください」と。「真理を与えてください」と祈った。

 で、それは、実は二つとも叶ったんです。何かって言うと、その頃わたし、小学校それから中学校の初めぐらいまで、まあ自分で言うのも何だけど、学校とかでとても人気者だったんだね。みんなの中心にいる感じで、みんなから好かれた感じだった。で、その「神に苦悩をお与えください」と。あるいは「真理を与えてください」ということを祈ったちょっと後ぐらいに、親の都合で学校を転校したんですね。で、その転校した先で、まあ、ちょっとしたいじめにあった。その頃いじめが社会問題化してて、流行ってたんだけど。まあいじめっていってもそんな暴力的ないじめじゃないんだけど、精神的に嫌がらせを受けるような日々になった。つまり転校した先だから、仲間がほとんどいない(笑)。つまり一人ぼっちで、ちょっと大げさに言えば、同学年のほとんどの人から嫌がらせを受けるような感じになってた。ああ、これは山で祈った「苦しみをお与えてください」っていうのが来たんだなと思ったね。

 で、ちょうど同じ頃に、ヨーガに出会ったんです。これはだから「真理をお与えください」って言ったのが叶ったのかなと。

◎逆境を追い求める

 ちょっと今のは思い出した話だけども、そういう感じで、もう一回言うけども、別に何の意味もなく苦しみを追い求めるわけじゃないんだけど、わたしが本当に真理を悟るには、もしくは成長するには、もしくは菩薩になるには、徹底的な苦悩との対決が必要だと。あるいは、さまざまな逆境が必要なんだと。それはまさに、望むべきことなんだと。

 何度も言うけど、できれば来ないで欲しいけど来たら頑張りましょう、じゃない。こっちからもうその逆境を追いかけていくぐらいの気持ちが大事なんだね。

 今こういう話をして、みなさん、「ああそうなんだ。すごいな。でもわたしは無理だな」って思ってる人もいるかもしれないし、「いや、頑張ろう!」と思う人もいるかもしれないけど、これは一つの事実です。真実です。だから是非みなさん、その逆境を乗り越えるっていうよりは、逆境を自分で追い求めるぐらいの強い気持ちを身につけてほしいね。

 実際のプロセスとしては、さっきのわたしの例でもそうだけど、普通はね、普通は修行してると、忍辱っていうんだけど、カルマの浄化がバーッと起きるときがあります。つまり自然に自分の中に蓄えられた悪業が現象化し出して、いろんなことがうまくいかなくなったり、いろんな苦しみがバーッてやって来たりする。で、それはさっきも言ったように、こう耐えてるんだね。そこで仏教では忍辱、耐えなさいといっている。

 で、その耐えるっていうのは、さっきも言ったように、「できれば苦しみ終わって欲しいな。でもしょうがない、浄化だから耐えよう」っていう段階なんだね。で、これはこれで段階としてはいいんだけど、でもこれが極限に達すると、ガラッと心が入れ替わるときがある。開き直るときがある。

 つまり、「できれば終わってほしいけど、耐えます」じゃなくて、「さあ、わたしから逆境を追い求めましょう」と。「こんなもんでいいんですか?」と。「もっともっとわたしは逆境に突っ込んでいきたい」ぐらいの気持ちが出てくる。そうなると世界がガラッと変わります。

 で、それは、自然な流れでそうなって行くんだけど、でも、みなさんがもし何も知らず無智なまま修行して自然な流れでそうなるのは、多分結構時間かかります。なぜかというと、忍辱の段階で何度も失敗するから。失敗するっていうのは、耐えられなくなるんだね。耐えられなくなって放棄してしまったり、あるいは悪いことやっちゃったり、あるいは修行やめてしまったりとか。で、これで何度も何度も停滞がある。

 だから今こういう話をみなさんが聞くことは、とても利益になります。つまり最初からそれを分かってたら、逃げることも少なくなるかもしれない。だから、まだ今そこまで行ってなかったとしても、そういう気持ちを持とうということはちょっと心の片隅に置いといたらいいね。逆境こそがわたしの修行を進めてくれる。いや、逆境がないとわたしの修行は進まないんだ――というくらいの気持ちだね。

◎逆境こそ有難い

 でも逆境っていうのはさ、今例に出したような、もういろんなことがガーンって悪くなる時期っていう意味での逆境もあるけど、じゃなくて一つ一つのこともあるね。別に平静なんだけど、何か一つの悪いことが何かバッと来ると。こういうこともある。で、どちらにしろそれは、やはり意識的に変容しなきゃいけない。それはだからまず教えを日々学んで――この自分に来たこの苦悩をどう考えるのか。もしくは、この一見悪く思える現象をどのように捉えるのか。これは智慧が必要だね。

 で、それは本当にケースバイケースになります。ケースバイケースになるし、答えも一つじゃない。だからさっき言ったことも関わるけど、例えばそれはカルマが浄化されて嬉しいなって考えてもいいし、あるいは、『バガヴァッド・ギーター』その他で言われるような、成功と失敗、苦楽の二元性に捉われないための訓練だって思ってもいい。ね。

 例えばそうだな、まあ逆境っていうほどでもないけど、最近の話でいうと、まあみんな知ってる人も知らない人もいるだろうけど、実は横浜の道場の新しいところを借りる手筈が大分進んでたんです。で、大家もオッケーですってなった。で、あと二日後ぐらいに契約しましょうっていう感じで、いろんな引越しとかの準備を進めてた。そしたらいきなり不動産屋から契約直前に電話かかかってきて、大家がやっぱり駄目だって言ってますとか言うんですよ(笑)。「えー! そんなことあるの?」っていう感じだよね(笑)。こっちとしてはいろいろ計画があって、それを進めてたわけだけど。で、それは最初から駄目だっていうならいいんだけど、オッケーですってなって、そっちの方向でグーッと進めてて、で、突然駄目だってなったから、全ての計画が狂ってしまった。でもそこで、「ああ、運が悪い」とか、「え、大家さんそんな、約束してていきなり覆すなんてどういうことだ!」っていうふうになってはいけない。

 まあ、これはいろんな見方があるけど、例えばわたしがとらわれていたら、つまり「これが成功する、したらいいな」、あるいは「今成功しそうだな」ととらわれていたら、当然苦しみを感じたり、喪失感を感じたりするかもしれない。でも普段から、教えでいわれてるように――あらゆる成功と失敗、あらゆる苦楽とか、あるいは善悪、善いこと悪いことにとらわれるなと。すべては神の愛である――っていうのを現実的に実践する良いチャンスだと。日々もちろんそういう小さいことっていうのはいろいろあるわけだけど、そのもうちょっと大きなのが来たと。「ああ、これはいい訓練になる」と考えると、それはまさに神が差し伸べてくれた素晴らしいプレゼントに考えられる。これが一つの見方だけどね。

 みなさんももちろんいろいろ日々仕事したり、あるいは友人関係とかでいろんなことがあると思うんだね。それをどう見るかっていう問題があって。特に逆境とか苦難とかいわれるものを、どう変容するか。で、その変容次第で、すべては自分の修行を進めてくれるものになるんですね。

 で、さっきからずっと言ってるように、もちろんいいことも変容できる。悪いことも変容できる。何でも変容できるんだけど、強烈な逆境こそが、われわれの悟りを深めるものすごい起爆剤になるんだね。これをしっかりと変容したときに、ものすごい修行が進む。だから逆境こそ有難い。これはだから実践しなきゃいけない話だけど、みなさんの頭の片隅に常に置いといたらいい。

◎修行を進める宝物

 これを考えると、この人生におけるいろんな苦悩っていうものが、逆に苦悩じゃなくなってきます。これはもう完全にケースバイケースだし、個々の中での苦しみとか逆境っていうのは、客観的には分からない部分があるから、もう個々で考えるしかないんだけどね。その人にとっての逆境が、別に他の人から見たら別に何でもない場合もある。

 特に修行者の場合ね。一人で苦しんでるときってあるね、修行者ってね。「え? 何であなたこんなところで苦しんでるの?」と。「どこが逆境なんですか?」と。でも自分のカルマがバッと噴出したりしてて、もうどうしようもないときとかある。でもそのときこそがチャンスだって考えないと。

 逆に言うと、逆境をうまく逃げる方法もあるんだね、もちろん。でもそれをやってしまうともったいないんです。で、そこで逆境のシーズンが終わったとするよ。「ああ、もったいなかった」と。次にそれはいつ来るか分からない。「せっかく修行進むチャンスだったのに・・・・・・」――こういう気持ちになる。

 わたし昔――今日、京都の人がいっぱい来てるけど――前わたし京都に住んでたことがあって。で、わたしも人生の中で、さっきから言ってるように、いろんな逆境の時期があったり、じゃなくて順風満帆の時期があったりいろいろあったんだけど、わたしが京都に住んでたときって順風満帆な時期だったんです。精神的にも非常に安定してて、で、起きる現象もね、すべてがうまくいってるようなときだったんだね。わたしも京都好きなんだけど、本当に何ていうかな、もちろん修行ばっかりしてたんだけど、何ていうかな、のどかな日々っていうか(笑)、昼間は賀茂川を歩いて(笑)、で、賀茂川のほとりで瞑想したりして。で、京都に仏教の本屋さんとかいっぱいあるから、そういうところでいろいろ研究したりして。で、すべてが――まあ、いろんなことやってたんだけど、そのときも。そこでもヨーガ教室とかやってたんだけど。いろんなことがうまくいく。精神的にも、もう苦悩がないんだね、何があっても。

 で、そういう日々が京都であって、で、あるとき、そんなある日、久しぶりにちょっと苦悩が生じたんです。それは――まあちょっともう忘れちゃったんだけど、具体的なことは。ある人と電話で話したときに、その人に誤解されてね。ちょっとこう行き違いがあって、すごく誤解をされてしまったことが、すごく悲しみっていうか苦しみみたいなのが生じた。

 で、そのときにね、ハッとしたんです。「あれ? この感情は久しぶりである」と。で、わたしのそのときの意識状態だと、これを消すのは簡単だったんです。簡単だし、多分放っといてもすぐに消えることは分かっていた、この苦悩がね。だからわたしはそこで、ちょっと一旦ストップして――つまりちょっと変な言い方なんだけど、この苦しみに刺激を与えないように――だからね、イメージとしては、なんか珍しい野鳥を見つけたときのような感じです(笑)。野鳥見つけて、ちょっとでも動くと逃げちゃうかもしれない。だからそーっとそーっと観察しようと。

 だからそのときわたしは、ガーッてその苦悩が来たときに、「あ、これはいつものようにちょっと神に心を向けたり、あるいはいろんな対処によってすぐ消えてしまうだろう」と。で、ちょっと心を止めて、そこで生じてる苦しみを観察したりとか、それを味わいながら自分の心をチェックしたりっていうことをやったんだね。だからちょっと変な言い方なんだけど、久しぶりに来たその苦しみが、わたしにとってのちょっと宝物みたいな感覚があった。

 で、これはちょっと特殊な例かもしれないけど、そういう意識っていうかな。わたしに自然に生じてくるさまざまな苦悩や災難、逆境、失敗――それはまさにそういう感じがあるんだね。わたしの修行を進める宝物なんです。神からのプレゼント。

 そういう意識を持って、まあ何度も言うけど、智慧を持って――つまり、普段学んでる教えをフル稼働して、智慧によって変容していく。これがまあ個人的な日々われわれがやるべきことですね。

◎カリユガ

 はい、そして、もう一つ、時代的な意味っていうのは、これはヨーガでも仏教でも、現代、今のわれわれが生きている時代はカリユガ。つまり暗黒の時代っていってる。つまり一番悪い時代なんですね。

 で、この時代っていうのは、真理とか善ってうのがすごく少なくなって、で、悪で満ち溢れる。だから修行も非常にしづらいし、それからもちろん犯罪も多いし、で、いろんな嫌なことがいっぱい起きる時代だっていわれています。

 だからこれは、さっき言った個人的なカルマが出てきたとか浄化とかそういうレベルの話じゃなくて、もうこの世界そのものがちょっとひどい時代になっていると。

 で、この時代こそ、さっきの話を当てはめると、一番いい時代だってなるんだね。一般的には暗黒の時代、カリユガ。「ああ、悪い時代に生まれたね」ってなるんだけど、この逆境こそ一番いいんだっていう考えからいくと、なんていい時代に生まれたんだと。最も修行が進むと。われわれに強い決意と智慧さえあれば、この時代っていうのは最高の時代であるっていうふうになるんだね。

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