「解説『至高のバクティ』」第3回 「バクティ」③(4)
はい、ちょっと話を戻しますが、そのトータープリーの場合は、そういう生き方をしてて、ラーマクリシュナと偶然出会った。トータープリーはほとんど人に関わらない人だったんだけど、ラーマクリシュナになんか惹かれるものを感じて――ただ、そのころのラーマクリシュナっていうのは、まだ完全な境地には達してない段階。でもいろんな経験を積み重ねた段階ですね。で、トータープリーと出会って、トータープリーがラーマクリシュナの素質を見出して、トータープリーが自分で修行――彼は四十年修行して、さっき言ったブラフマンの悟りに到達したんだね。「わたしが四十年間かけて到達したこの境地をこいつに教えたい」と思ったんだね。で、「わたしのもとで修行する気があるか?」と聞いたら、ラーマクリシュナはニコニコして子供のようにね、「ぜひしたいです」と。「でも、お母さんに聞いてきます」って言うんだね(笑)。で、トータープリーは「ああ、そうか」と。「じゃあちょっと母上の許可を取ってきなさい」と。「分かりました!」ってラーマクリシュナが帰っていって、戻って来たと。戻ってきてラーマクリシュナが言うには、「母が言うには、あの男――つまりトータープリーのことね――トータープリーをここへ遣わしたのは母である、ということでしたので」――(笑)。で、この話を聞いているうちに、ラーマクリシュナが母と言っているのが、つまりカーリー女神だったことが分かったわけだね。ここでトータープリーは呆れたわけです。っていうのは、トータープリーのジュニャーナヨーガの発想からいったら、「そんな、なんとか女神とか、それは偶像である」と。「真実はブラフマンしかないんだ」って思ってたから、実際に女神という存在がいてね、バーッてこうラーマクリシュナの――ラーマクリシュナはそのころは、いわゆるカーリー女神の見神の経験はあったわけだね。カーリー女神と、もう自由に話せるようになっていた。「そんなことは幻想だ」と思ってたんだね。「ああ、こいつは素質があるのに、こんなカーリー女神という幻想にとり憑かれてしまって可哀相だ」と。「だからわたしの教えを与えなきゃいけない」と思ってたんだね。で、ラーマクリシュナに座らせて――何度も言うけども、ジュニャーナヨーガっていうのは本当はいろんなプロセスをたどって――このトータープリーは四十年間かかったわけだから、なかなか難しいんだけども――まず座らせて、「さあ、一切の相を捨て……」――つまり「一切の心に浮かぶ、二元的な世界を捨てて、ブラフマンのみに集中しなさい」と。あるいは「二元を超えた一元の世界に集中しなさい」と教えたわけだね。簡単にまずアドバイスをした。そしたらラーマクリシュナが言うには、「一切の世俗的なもの、あらゆるものは消え去りますが、カーリー女神だけは消えません!」と(笑)。
(一同笑)
大好きだったから(笑)。「母なる女神、消えないんです!」と。「そんなことでどうする!」とトータープリーが言って、で、「どうしても消えません!」と。そこでトータープリーが荒療治でね、落ちてたガラスみたいのを持ってきて、それをラーマクリシュナの眉間に突き刺したっていうんだね。ガッて突き刺して、「ここに集中しろ!」と。そしたらラーマクリシュナは、それによってワーッてその一元世界に入っていった。それでトータープリーは逆にびっくりしちゃったんだね。「わたしが四十年かけて入った境地に、入っちゃった」と(笑)。で、それはその狭い小屋の中で――今、皆さんこの間ドッキネッショル行った人は、パンチャヴァティってあったよね。パンチャヴァティの裏側に小屋があって、あの小屋でやってたっていうんだけど――あの小屋でその境地に入ったので、トータープリーは「おお、すごい」と思ってそのまま戸を閉めて鍵かけて、彼がこのサマーディから目覚めて、中から「開けてくれ」と言ったら開けようと。それまでは誰も入れないように鍵かけていた。そしたら三日間出てこなかった。三日経っても出てこないから、開けてみたらまだ入ってたと(笑)。完全な二元を超えた世界に入ってしまった。で、それでラーマクリシュナは、まあいってみればスイッチが入っちゃって、その後ラーマクリシュナは一旦そこから戻って来たんだけど、この素晴らしい境地にもっと入りたいと思って、で、結局その後六ヶ月間、連続で入ったっていうんだね。六ヶ月間はサマーディ。ずっとサマーディ。だからなんの肉体的動きもしないって言うかな。こういう人はね、古代は別として歴史上は稀です。歴史上、普通に記録が残っている人でね、六ヶ月間サマーディに入ったっていう人は普通はいないんだね。だからちょっと特異な例なんだけども。
これによってラーマクリシュナはいわゆる――ここでいうサマーディというのは、完全なニルヴィカルパ・サマーディ、つまり一切の相を超えたサマーディなんだけども――一元サマーディに六ヶ月間入ったんだけど、六ヶ月目に母なる神がまた現われて、「お前はバーヴァムカに留まれ」と。バーヴァムカっていうのはその、半分サマーディ、半分現世の意識を持った状態ですね。ラーマクリシュナはだから、晩年はずっとその状態だったんだけど。つまり「人々のために働け」と。つまり、そのままもしラーマクリシュナがサマーディに入っていたら、死んでしまいます。死んでしまって、ラーマクリシュナ自身は素晴らしい世界に行って終わりなんですけども。じゃなくて「お前には使命がある」と。「働け」と。「半分サマーディに入ったバーヴァムカの状態で、これから生きろ」って言われて、そのままラーマクリシュナは戻ってきて、それからずっと使命を果たすわけですけどね。
その後、今度はトータープリーに話に戻すと、そのトータープリーは――その後っていうか実際にはその前かな、ラーマクリシュナがその経験をする前かもしれないけども――トータープリーは一応ラーマクリシュナを、ちょっと自分もびっくりしたけども、ブラフマンの境地に到達させたので、一応やることは終わったはずだったんです。で、さっき言ったように、彼の信条としては三日以上同じ場所にいない、という信条だったんだけど、なぜか去れないと。なぜかラーマクリシュナのもとを去れないと。自分の弟子なのにですよ。師匠だったらまた別だけど、弟子なんだけど、「なんかラーマクリシュナと離れたくない」と。なかなか去れなかった。で、意を決して「よし、今日こそは去ろう」と思って、ラーマクリシュナに別れを告げに行こうとしたことが何度もあったそうなんだね。でもなぜかそのときに限って、なんか邪魔が入って、別れを告げられなかったんだね。だからそれで延び延びになっちゃて、結局は十一ヶ月いたっていうね。延び過ぎだろうって感じなんだけど(笑)。だって三日で去るのが信条の人が、十一ヶ月いたんだから(笑)。
(一同笑)
相当延び延びですよね。ただこれが彼にとっての、逆に導きだったんだけど、その十一ヶ月経ったころに、彼が――つまりトータープリーがね、ひどい病気に襲われたんですね。体中が痛みでしょうがないと。現代的にいうと何の病気かよく分からないけども、激痛で少しもじっとしていられないと。もちろん彼は、ジュニャーナヨーガの悟りを得ていたから、そこに集中すればいいんですけども、でも集中さえできないぐらいの、肉体の痛みに苛まされていたと。で、ここで彼は自殺を思い計ったんだね。
あの、ちょっと話がずれるけどさ、聖者の自殺っていうよりは、解脱者の自殺っていうのは、別にオッケーなんです。これはお釈迦様の時代から――前もなんかで言ったけどね、お釈迦様の時代の原始仏典にこういう経典があって――ある解脱した魂がいてね、その解脱した魂が――いくつかのプロセスを踏むんだけど――「この瞑想に入りニルヴァーナを経験した」と。「ニルヴァーナを経験した後、またちょっと霊的世界に戻ってきて、また現世の意識に戻った」と。これを何度か繰り返すんだね。何度か繰り返して最後に、「さあ、わたしは肉体はいらない」って言って、刃物で首を切って死んだって書いてあるんだね。その報告を受けたお釈迦様と、他の兄弟弟子達が集まったと。そこでお釈迦様はみんなに対して、「さあ、彼はニルヴァーナを味わい、肉体をもういらないと思い、首を切って死んだ」って言っているんだね。で、それだけなんです(笑)。何もそれ以上、その経典にないんです。つまり「こんなことしちゃ駄目だよ」とも言っていないし、もちろん薦めてもいない。つまり一つのあり方だったんだね。
もちろんこれは、菩薩道ではないね。つまり、自分だけニルヴァーナ行っちゃえばいいっていう世界だから。だから解脱者の場合、例えばいくつかのパターンがある。「解脱しました。さあ、このわたしが味わった境地は、わたし一人で味わうなんてもったいなさ過ぎる」と。「さあ、みんなも解放してあげたい」――これが菩薩道だね。もしくは菩薩道までいかなくても、その規模が小さい場合は、少し大乗的な意識がある人ってことになる。じゃなくて、多くの場合は自然に任せます。自然に任せるっていうのは、解脱したと。もうこの世に興味がないと。でもまだ肉体はあると。で、これは神の意思なんで、肉体は普通に保って、自然に死んでいくのを目指すというか待つというか。で、死んだらニルヴァーナ。これがまあ一番多いパターンだね。じゃなくて自殺する人がいる。「待ち切れない」と(笑)。「待ち切れない」って言って自殺する場合もあると。これはこれで実はオッケーなんです。
で、このトータープリーの場合も、ちょっともう肉体が煩わしくなっちゃって、「わたしは精神集中によってブラフマンを悟れるけども、この肉体の苦しみというのは、もう耐えられない」と。「もう煩わし過ぎる」と。「もう捨ててしまおう」と思ったんだね。で、そのころラーマクリシュナのそばでドッキネッショルにいたから――まあ皆さんも行ったドッキネッショルの寺院の前の、ガンジス川があるわけだけど、あそこに身を投げて死のうと思った。
あそこさ、皆さんも行った人は分かると思うけど、みんな船で何回か渡ったように、かなり深いですよね。だから当然、入水自殺ができるわけですね。で、不思議な話なんだけど、トータープリーはその、ドッキネッショルのこっち側からね、こうやって、「さあ、わたしはもう肉体などいらん」って言って一歩一歩入っていって、ドンドンドンドンドン……あっち側に着いちゃった(笑)。
(一同笑)
「え?」って思ったときに、カーリー女神が現われたんです。で、そこでトータープリーは「ああ!」って涙を流して、ついに悟ったんだね。「ああ、ラーマクリシュナが言っていたのは本当だった」と。「この宇宙の真実は母なる神だった」ってことが分かったんだね。
これは素晴らしい話で――一般の教えと逆なんです。一般のっていうか、多くに、一般的に信じられているのは、二元的世界を超えたのがブラフマンだから、つまり二元的な「神よ!」っていう世界よりも、ブラフマンの方が上だって、深いっていうふうに普通は思われてるんだけど。じゃなくてこの場合は、ブラフマンを悟ったはずのトータープリーが、実はより深い真実として「カーリー女神がいた」っていうことに気付いたんだね。で、トータープリーは「あ、そうか」と。「わたしが、普通だったら三日以上同じ土地にいないのに、ラーマクリシュナのもとにこれだけ長く、神の意思によっていさせられたのはこれを悟るためだった」と。「この経験をさせてもらうためだった」っていうのに気付いたわけだね。で、そこでやっとラーマクリシュナに感謝――つまりトータープリーっていうのはかたち上はラーマクリシュナの師の役割を果たしたわけだけど、実際には弟子だったようなものだね(笑)。実際には自分がその、最高の女神の悟りを得させてもらうためにラーマクリシュナのもとに来たのかもしれない。で、それを得たので、ついに目的を果たして去って行ったっていう話がある。これなんかいい例ですけどね。
ちょっと話が長くなったけども、だから、ラージャヨーガで悟ったとしても、あるいはジュニャーナヨーガで悟ったとしても、それは途中であると。まだね。で、その果てに、バクティヨーガの悟りがある。