「解説『バクティヨーガ・サーダナー』」第二回(9)
はい。「軽率さ」。これも似てるけども、その怒りによってわれわれは軽率な行為に出てしまう。もしわれわれの中に冷静さがあったならば、あるいは慈愛に満ちていたならば、もうちょっと正しい態度をとれたかもしれないなと。怒りによってカッとして、「もういい」って感じで、軽率な態度をとってしまうことがある。なんかやっぱりこれ、女性のイメージが強いね(笑)。もちろん男性でもいると思うよ。それはだから、自分に当てはまる人は気を付けてください。カッとなって軽率な過ちを犯すと。
本当、人間って馬鹿だからさ、あとで後悔する人が多いわけだね。「なんであんなことしてしまったんだろう」と。なんでもかんでもないと。ね(笑)。完全に念正智不足であると。念正智ができてないから、軽率な――まあ例えば自分にも他人にも不利益となる行動に出てしまう。
はい、だからこれも――まあこれも、だから本当、念正智するしかないですけどね。念正智して、決して怒りを許さない。あるいは怒りから生じるダルマから外れること、あるいは軽率な行為に走らない。これを気を付けるしかないね。
はい。「他者を悩ますこと」。まあこれはこのままですね。怒りによってカッとし、他者を悩ます状態になる。で、これも悪循環で、そこで悪業を積んでしまうことによって、まあその人もまた他者からも嫌な態度をとられるかもしれない。それによってまた怒りが増し、また他者に対して害を及ぼすと。当然これはバクティから、バクティの見地から言っても、あるいは慈愛の見地から言っても真逆なので、どんどんその人のカルマは悪くなり、神から外れていきます。はい。
だからこれは逆に言うと、怒りがあろうとなかろうとなんですけども、決して他者を悩まさない。あるいは、他者を害さない。まあこれは常に考える必要があるわけですね。はい。
「嫉妬」。はい、嫉妬っていうのはまあもちろん、実際には怒りだけではなく、怒りプラス、さっきも出ましたけども、自分のいろんなこと――例えば地位であるとか、執着であるとかに対する、まあ執着ね。欲望ね。こういうのも絡んでるわけだけど、まあここでは一応「怒り」というのがテーマになっている。怒りによって、カッとした怒りによって、まあつまり――ちょっと言葉にすると本当に汚くなるわけだけど、「あの人があんなにいい状態になるのは許せない」――それ、なんですか?って感じですよね。なんですかって感じだけど、でもはまるわけです。実際にこの状態に。あとから考えると、「え? 何それ?」――特に修行者が――「修行者がそんな状態になるなんてあり得るの?」っていう感じがするけども、実際にあり得るんだね(笑)。実際に怒りで頭がおかしくなると、このあり得ないような嫉妬にはまる。怒りからくる嫉妬ね。「あいつがあんな状態なんて!」「あいつがあんな修行進みやがって」――あなた修行者ですか? と。ね(笑)。うん。こういう状態に本当にその――まあ例えばそれを今まで経験した人があるかもしれない。それは反省できるけども、経験したことがない人も、それは将来的に出るかもしれません。だからそれだけ怖いんだね、心の悪癖っていうのは。
だからその怒りという一つの悪いスイッチによって、自分の中に眠っている悪しき習性みたいなのがバッと出てくる。そうすると、そのようなもう自分でも信じられないような悪しき嫉妬や、悪しき、他者の足を引っ張る気持ちとか、そういうのも出てしまいます。で、それによってまた悪しきカルマが増大し、怒りも増大する。悪循環だね。これをもちろん気を付ける。
まあだからちょっと、これはだから怒りから生じるというよりは、まあこれ自体をしっかり気を付けたらいい。
もう一回言うと、「決してわたしは法に外れないぞ」と。「ダルマから外れることはしないぞ」と。そして、「決してわたしは軽率な、一時的な感情からくる軽率な態度や、心の働きをしないぞ」と。そして、「決してわたしは他者を悩まさない」と。そして、「決してわたしは嫉妬などしない」と。ね。これをちゃんと念正智して決意してれば大丈夫です。だからその、一瞬のその感情、怒りなんかにわたしは惑わされないと。こんなんで、こんなどうしようもない無駄な悪いカルマ積んでてもしょうがないと。それによって神から心が外れるなんて、本当に意味が分からないと。ね。うん。だからこれはそのように考えて念正智したらいいね。