「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第二回(12)
はい、で、そういう感じで、菩薩行こそが実は最終的には、自分が大きな利益を得ると。それはなぜかって言うと、ちょっとさっきの話と絡めて言うとね、まあこれも何回も言っている話なんだけど、菩薩行じゃないただの自分の悟りを目指す道っていうのは、ちょうど土管にゴミがいっぱい溜まっていて、そこに非常に細い棒をグッて刺して、あっち側に穴を開けるようなものなんです。つまり――ニルヴァーナ、悟りの世界に穴を開けますよと。「やった、ニルヴァーナに到達した」と。これが自分のことだけを考えて修行するやり方なんだね。でも、この場合の欠点っていうのは、細い道は通ったけども、他がかなりけがれてるから、まあちょっとなんていうかな、それがずれたとき。つまり、その人はまたニルヴァーナから落っこちる可能性があるってことです。じゃなくて菩薩行っていうのは何をやろうとしているのかっていうと、完全――つまり菩薩行だけじゃなくて、修行っていうのは最終的にはこの土管の中全部、つまりオールクリアにしなきゃいけないんだね。自分の中のなんのけがれの一点もない状態を作り出さなきゃいけない。
で、それには二つのやり方があります。一つは今の例えで言うと、ズボッてあっちに刺して、また引いてズボッて刺す。これやってれば、いつかは空っぽになるよね(笑)。これはちょうど、「おれはおれだけでいいんだ」って言って解脱してニルヴァーナに入りましたと。で、宇宙が何度も生じては滅するくらいの間にニルヴァーナにずっといるんだけど、で、また落っこちます。で、また最初から修行やり直して違う穴をズボッと開ける。この繰り返しをしているようなものです。これ、ものすごい時間かかるよね。もう、あり得ないぐらいの時間がかかる。
菩薩行っていうのはそうじゃなくて――いいですか、自分だけではなく、みんなの苦しみに目を向け、それを手伝おうとする。そこからの解放を手伝おうとする。これはもう分かったと思うけども、大きい穴を開けつつ進もうとするようなものなんです。
これは何かっていうと――これも何度か話しているんで覚えている人はもう分かってると思うけど、われわれの悟りのプロセスには、二つのプロセスが必要なんです。一つは「けがすプロセス」、そしてもうひとつが「浄化のプロセス」。つまりわれわれは、もともとは――ちょっとヨーガ的な説明の方が分かりやすいんだけど、もともとはわれわれは無垢な純粋な状態だったんです、われわれの心はね。純粋だけど悟ってない状態なんです。ちょっと誤解を恐れずに言えば。純粋だけど悟ってない――つまり、箱入り息子みたいなものです。純粋だけど何も分かってないわけだね(笑)。つまり純粋だけど智慧がないんだね。よって、偉大な仏陀はわれわれを苦悩の旅にボーンって押し出したんです。つまり、輪廻にバーッて落っことされたんだね。で、そこでわれわれは、いろんな過ちを繰り返してボロボロになるんです。で、煩悩まみれになる。煩悩まみれになったわれわれが、仏陀と出会い、「これじゃいかん」っていうんで、今までけがしてきたけがれをどんどん浄化するわけです。で、それを完全にけがした分、浄化し終わったときに悟れる。つまりもとの純粋な状態に戻る。「じゃあ元と、もともとの状態と戻った状態、何が違うんですか?」と。智慧が違うよね。つまり、純粋っていうのは同じなんだけど、一旦けがし、それを浄化したことによって、その自分がけがした部分については、智慧がついてくると。そういう意味の智慧っていうのは高まってるんだね。
はい、じゃあ次の問題。じゃあそれ以外の部分はまだ智慧がない。よって、また落っこちなきゃいけない。これがさっき言った話ね。じゃなくて、菩薩行っていうのは、いいですか? これも何回か言ってるけど、わたしが例えば――わたしがね、たとえとして――わたしが今、けがれがいっぱいあるとして、そのけがれを一生懸命浄化して悟ったとするよ。で、このわたしのけがれっていうのは実は必要なけがれだった――つまり悟りを得るにはね、今の話でいうと。で、そのわたしはこの悟るためのけがれを作るのに、もう何億回も生まれ変わって、けがしたんです。何億回も生まれ変わってけがしたものを、今一生懸命浄化して悟ったと。例えばね。で、M君が例えばいるとして、M君もけがれている。でもM君はわたしとは違う輪廻をしてきたから、違うけがれを持ってるんです。似たように見えてもね。で、この違うけがれっていうのは、M君がまた何億年とか何十億年かかって作ってきたけがれなんです。で、わたしがそのけがれを、わたしも得ようと思ったら、同じように何億年、何十億年かかるんです。でもここで大乗の、「自分と他人の区別はない」っていう気持ちが出てくる。つまり、自分と他人の区別はないっていう気持ちを心をそこで発揮すると、「わたしとM君には何の区別もない」と。「M君の苦しみはわたしの苦しみである」と。つまり、これは――こう言うとかっこいいんだけど、つまりM君が、何億年かかって作った悟りのもととなるけがれっていう宝物を頂いちゃってるわけです(笑)。一瞬にして。M君は、わたしとあなたと変わりない――つまり、ジャイアンみたいなものだね。「おまえのものはおれのもの」と(笑)。
(一同笑)
「おれのものもおれのもの」だっけ(笑)。でもそんな感じなんだね、菩薩っていうのはね。「おまえのけがれはおれのけがれ」と。「おれのけがれはおれのけがれ」と(笑)。ああ、すごい法則発見したね、今ね。
(一同笑)
菩薩っていうのはなんていうかな……「聖なるジャイアン」みたいだね(笑)。「お前のけがれはおれのけがれ」と。「おれのけがれはおれのけがれ」と。でも本当にそういう感じなんだね。
(一同笑)
でも、そういう感じなんです、本当にね。本当にわたしとあなたは区別はないんですよ。だから本当にリアルに、そういうふりをするんじゃなくて、本当に、例えばM君だったらM君の苦しみを見ていられないと。自分は結構もう浄化されてるんだけど、M君が例えばね――そうだな、人への嫉妬心で苦しんでたとするよ。「もう、くそ、なんか嫉妬心が出て、もう本当にこれは悪いと思ってるんだけど嫉妬してしまって……」――で、それをわたしが、本当にわたしが慈悲深い人だったら、同じように苦しむんです。本当はわたしは嫉妬ないはずなんだけど、「本当になんか嫉妬苦しいよな」と(笑)。「これどうにかしたいよね?」と。「どうしようか?」と。「頑張ろうぜ」と(笑)。つまり、M君が嫉妬から解放されてくれないとわたしも幸せになれないから。そこまで同調しちゃうとね。「何とかしようよ」と。本当に心からなるんだね。ちょっとこう偽善的に「さあ、頑張ろうぜ」とかじゃなくて、自分も一緒に苦しいから「本当になんとかしようよ!」と。「本当に嫉妬をなんとかしないと、本当にまずいよ!」と。こういう感じで自分のことのように人の修行を手伝うと。こういうことをいろんな人にやると、分かりますよね?――つまり何億年、何十億年分のことを一人、二人、三人……とやるわけだから、ものすごいスピードで修行が進むんです。ものすごいスピードでその土管の中がガーッて浄化されていくわけだね。これがだから菩薩行。
だからそれは素晴らしい最高の道なんだけど、でも分かると思うけど、苦悩の道です。だってそうでしょ? 自分だけの修行でも大変なのに、みんなのことを自分のように思ってやってるわけだから、相当大変なわけです。だって自分のせいじゃないものまでも、自分の苦しみだって思って、「さあ、みんな頑張ろう」と、「修行しよう」ってやってるわけだね。で、そこで生じる苦しみっていうのは相当大きなものがある。でも、菩薩はそれにめげちゃいけない。