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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第三回(12)

【本文】

 ヴィーラダッタグリハパティパリプリッチャーには、こう説かれている。

「ここに偉大なる覚醒を成就せんと欲する菩薩がいる。彼らは一切の衆生に大慈悲心を起こし、自分の身の回りのことや生活にとらわれるべきではない。
 たとえば財産、穀物、家、妻、子供、食物、飲み物、衣服、馬車、家具、香水、香、花などにとらわれを持ってはならない。
 なぜならば、たいていの衆生は、彼らの身の周りの品や生活にとらわれ、悪業を作り、悪趣に落ちるのである。
 もし彼らに対して大悲の心を発するならば、菩薩は自分の身の周りの品や生活にとらわれず、喜びが生じ、一切の衆生に思いを向け、布施等の一切の善法に精進するのである。
 菩薩は大悲をもってその本性とするのである。」

 はい。「自分の身の回りのことや生活にとらわれるべきではない」。もちろん、これはいつも言うように、われわれみたいな、現代の普通の生活を送りながら修行する場合は、当然必要な物っていろいろあるね。だからそれを全部捨てろとは言わないが、ただ、とらわれてはいけない。で、まあこの間もね、まやかし――「この世はまやかしですよ」っていう話をしたと思いますが、こういったものっていうのは、われわれを、このまやかしの世界に引きずり込む、そしてつなぎとめる、さまざまな罠なんだね。ここに書かれてる多くの、「財産、穀物、家、妻、子供、食物、飲み物、衣服、馬車、家具、香水、香、花」――現代では、もっといっぱいあるでしょうね。もっといろんなわれわれをこの世に縛り付けるものがたくさんある。特に物質は多いよね。もう完全に今、消費社会なので、もういろんな物がコマーシャルされて、「これも必要、あれも必要、これも必要」と。まあ携帯とかもそうだし、パソコンとかもそうだし。服もいろんなタイプの服がいっぱい出てきて、もういろんな物がわれわれを縛ってる。で、もちろんそれは、何度も言うけども、心がとらわれない状態で、必要な物だけとってればいいんだけども、「あ、これよりもあれがいいかな?」とか、「あ、これがちょっともうこうなったから新しいの買おうかな」とか、あるいは、「あの人の方がいいな。もっとわたしもこういうの買おうかな」とか、ね。あるいは、買うものだけじゃなくて、家族の問題もそうだけどね。あるいは友人とかもそうだし、あるいは自分のプライドとか、地位とかもそうだけども、いろんな、この世に縛り付ける罠がたくさんある。で、そのようなものに、多くの人はとらわれて苦しんでいる。で、当然、菩薩っていうのは、みんなをそれから救いたいって思ってるわけだから、自分がそれにとらわれてちゃしょうがないわけだね(笑)。だから菩薩っていうのは、そういったね、一切の、この世にとらわれる罠に、無頓着になって生きなきゃいけない。
 だから逆に言うと、だから現代のわれわれっていうのは、ある意味厳しい菩薩行をやってるって言ってもいいかもしれない。っていうのは、何度も言うけども、昔のインドとかと違って、周りにたくさんありすぎるから(笑)。われわれのその目を奪うような、心を奪うような物がね。で、もちろん、その中で頓着しなければいいんだけども、頓着しないっていうのは、なかなか難しい。いろんな物が、自分の心を頓着させようとやってくると。だから逆に言うと、ここでしっかりと心を強く持って、風のように、あるいは、よく根無し草のようにとか言いますけども、全くとらわれない心で、この世に生きながら菩薩行できたならば、その人は素晴らしい、強い菩薩になるだろうね。
 ちょっとこれに関連する話で、面白い――面白いっていうか、仏典のね、有名な話があるんですが、どういう話かっていうと、昔ね、商人、船で商売する商人の乗った船がね、遭難して、ある島にたどり着いた。で、船は壊れてしまった。で、その島で、その商人の男たちが困ってたら、その島に住む――その島には、多くの美女たちがいっぱいいたんだね。で、もう、その島から国にも帰れないし、美女たちいっぱいいたので、まあその商人の男たちと、その島の美女たちは結婚して、家庭を作ってね、幸せにやってたわけだね。そしたらあるとき、その男たちの中で、ある一部の人が、ある声を聞いた。それはまあ神や仏陀の声だったんだけど、どういう声だったかって言うと、「おまえたちは、だまされている」と。この島は、いわゆる鬼神ね――鬼神っていうのは、まあ簡単に言うと人食い鬼。「人食い鬼の島だ」と。で、「あの女たちは全員人食い鬼だ」と。で、「おまえたちは、今はなんかうつつを抜かしてるが、ある段階にきたら、お前たち全員食われるぞ」と。で、「この島は、普通は抜けることはできないが、次の満月の夜がやってきたときに、観音菩薩が、馬に乗ってお前たちを救いにやって来る」と。で、「救いにやって来るので、そのときに観音菩薩の前に出てね、観音菩薩と共にこの島から脱出しなさい」と。そういう声が聞こえてきたんだね。で、それでそれを聞いた男たちは、仲間の男たちにそれをこっそり伝えてね、「大変なことだ」と。「おれたちはだまされていた」と。で、満月の夜に逃げる計画を立てるわけですね。で、満月の夜がやってきました。で、そのお告げの言葉通りに本当に空が明るくなって、観音菩薩が馬に乗って現われた。で、「さあ!」――男たちは「脱出だ!」って言って、観音菩薩と共に逃げようとするんだけど、それに気付いた――まあ正体は鬼の女たちがね、まあもうすでに子供も生まれてたわけだけど、子供を抱きながらやって来て、「あんた! 行かないで!」と。「この子はどうなるの?」――とかね。「わたしを置いて行かないで!」って、すがったわけだね。で、男たちは、半分ぐらいは残っちゃった(笑)。つまり、それにあがない切れずね、頭では、あいつら鬼だって分かってるんだけど、なんかその場の情で(笑)、「ああ、こんな愛してくれる妻がいる」とか、「愛する子供を放っておけない」っていう感じで、観音菩薩の方に行かないでその家族を取ったと。で、もちろん、その残った方は食われちゃったって話なんだけど(笑)。

(一同笑)

 つまり、本当にもう、なんていうかな、愛しい者のように、あるいは利益があるように、あるいはそれが本当に正しいことのように、欲望の罠っていうのは襲いかかってくるんだね。だからそういうのを、いちいち断ち切らなきゃいけない。
 何度も言うけど、われわれは、山に籠って修行するような人生ではないので、そういった誘惑の中にいながら、いちいち断ち切らなきゃいけないから(笑)、日々、そういう念正智をやっぱりする必要があるんだね。うん。
 特に現代っていうのは、そういうコマーシャルの――まあよく、本当かどうか分かんないけど、いろんなサブリミナルとかも含めてね、われわれの消費意欲を燃やさせるような、いろんなのがいっぱい溢れてると。だからそういうのに引っかからないように、できるだけ心を正しい状態に保つ訓練ね。いろんなものをこう、バシバシ切っていく訓練をしなきゃいけないんだね。
 はい。ちょっとずれましたが、はい、じゃあ次いきましょうかね。

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