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「解説『スートラ・サムッチャ』」第14回(6)

◎時空を超えて

【本文】

 ブッダ・アヴァタンサカには、こう説かれている。

「一瞬の間にアーナンダは法を説くが、その間にサーリプッタは千の法を説き、その意味を理解させる。
 サーリプッタが千の法を説く一瞬の間に、モッガッラーナは八万世界を超越した。
 モッガッラーナが八万世界を超越する一瞬の間に、如来は十万法界を超えて、虚空界の果てや、広く一切世界の各地や、如来の髪の毛の一本一本に行きわたり、トゥシタ天より降誕し、マーヤー夫人の胎内に入り、誕生し、インドラやブラフマ神がそれを見守った。誕生するや否や七歩進み、十方をあまねく照らした。
 幼少のときはさまざまな工芸、技芸、学芸を学び、王子の位につき、宮中で妻たちと遊戯し、歓喜の園に遊び、出家した。
 難行を行じ、乳粥を食し、菩提樹の下に赴き、座し、魔を降伏し、正観し、大梵天が勧請し、法輪を転じた。
 スメール山にやってきて、正覚し、法輪を転じ、さまざまな境界やカルパを経て、サンガを組織し、仏国土を清浄にする方法と、菩提心と行と誓願と六つのパーラミターと菩薩の十のステージと神通と忍辱とダーラニーとサマーディと解脱と供養と無量の菩薩と如来法の境界と無量の法雲地に入る様々な方法と衆生を成熟することとさまざまな方便と大いなる神変と遊戯と大いなるニルヴァーナを示した。
 そして自らの遺骨を分配し、法を分別し、法もまた滅する。そして外道の中に住し、一切の行と一切の人々に、無分別に、同時に出現する。
 限りなき未来際に布施を不断に教示し続けることによって、一瞬の間に、十方から、各々の毛穴のそれぞれに、過去・現在・未来の如来が遍満し、海のようなすべての菩薩と一族に囲まれて、広大なすべての仏国土を示し、海のようなサンガを組織し、すべての菩薩行の成就という広大性をそなえ、広大な如来の境界を自然に無分別に同時にあらわす。
 限りなき未来際の広大な布施を不断にあまねくあらわし続け、一瞬間の間に、あまねく十方の衆生界の一人一人の衆生をすべておさめ取り、衆生の性格や言語に応じて様々な法を説き、自然に、無念に、同時にあらわすのである。
 たとえば十五夜において、月はその美しい姿を人々の前にあらわすが、月は考えたり、分別することはない。自然に、無分別に、自然の法に従って現われる。同様に、衆生は如来を仰ぎ見るが、如来は自然の規律のように、考えたり分別することはない。自然に、無分別に、衆生に恩恵を与える。
 このように、甚深にして広大な経典の中には、多くの相が説かれている。このようなブッダ・菩薩の偉大性を信じ、理解し、経典を読誦し、供養し、尊重する者の功徳は、実に広大に増長する。

 善(ぜん)男子(なんし)、善女子が、すべての十方世界の一切の衆生に菩提心を起こすように誘導するならば、広大な功徳が生じるであろう。」

 はい。ここもね、同じような感じですけども。まあここも、言ってみれば、よくわけが分かんない感じもするわけだけど、例えば「一瞬の間に」とか、あるいは「それぞれの毛穴から」とかいう表現が使われてますが、つまりこれも、時間と空間を超越した話なんですね。つまりここをストレートに読むと、一瞬の間に――ここでまず中盤に書かれてるのは、お釈迦様というよりも、如来が現われたときに、まあ大体同じようなパターンをとるって言われてるんですね。つまり、王子として生まれ、さまざまな技芸を習得し云々と。で、出家して教えを説き、で、最後はニルヴァーナに入るとかいろいろあるわけだけども。それを一瞬の間に行なうと。で、一瞬の間に様々な世界へ行って多くの人々を教化すると。
 「あれ、これ、おかしいな」って考えるかもしれない。なぜおかしいかっていうと、一瞬の間に仏陀がそれをやった。それは素晴らしい、って考えるかもしれないけど、でも相手もいるよね。うん。じゃあ、「あれっ、一瞬だったの?」って(笑)。 お釈迦様は八十何歳で亡くなったわけですけども、われわれの時間の観念から言ったら八十年間この地上にいらっしゃり、われわれを導いてくれたお釈迦様、あの八十年も一瞬であったと。
 つまり、もう一回言うけど、時間も空間も――いいですか?――如来にとっては時間も空間も何もない。でも、実はわれわれにとってもそうなんです。われわれにとっても、本当の本当のことを言うと、時間も空間もない。しかし、われわれは今このマーヤーという夢を見ていて、この夢の中で――いつも言うように、夢とこのマーヤーというのはとても似てるんだね。――っていうのはさ、夢ってさ、つじつま合ってるじゃないですか。つじつま合ってるっていうのは、われわれが夢の世界に行ったときっていうのは――まあよく夢を見る人と見ない人といるかもしれないけど、わたしはよく夢を見るタイプだったから、あの夢の世界って、よく考えたらわけ分かんなかったりするね。わけ分かんない登場人物とか、わけ分かんない概念の世界があったりする。でも一応なんか、つじつま合っちゃってるんです(笑)。 起きてから振り返ると、「なんだったんだ、あれは?」って感じなんだけど(笑)、 その世界では、当たり前のように、「ああ、なるほどね」みたいな感じでつじつま合ってる。 同じようにわれわれも今、真実の世界とはほど遠い、この輪廻の中に落ち込んでるんですけども、われわれの心が作り出したつじつまによって、うまくなんか合ってるような感じがする。で、そのつじつま合わせてくれる一つの大きな概念が、時間と空間なんだね。本来はない時間、本来はない空間っていうものが一応あることになっちゃってて、そのカテゴリーの中に全部押し込められてて、うまくつじつまが合ってるようにわれわれは錯覚してるだけなんですね。
 でも本当のことを言うと、時間も空間もない。だからここに書かれてるような、一見矛盾するような「一瞬の間に多くの人に教えを説いた」とか、あるいは「一つの毛穴から無数の仏陀が出てきて無数の衆生に教えを説いた」とか、それは表現としては変なんですけど、でもまあ、そう表現するしかない世界がある。で、それをわれわれの観念に当てはめると、いびつな感じでそういうふうに表現するしかなくなってしまうんだね。

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