「聖者の生涯 ナーロー」⑦(5)
◎ルン・ゴンパ、夢のヨーガ
【本文】
ティローはまた一年間、黙って瞑想し続けました。ナーローはティローの周りを敬意を持って回り、教えを懇願しました。
ティローは、「教えがほしいなら、ついて来い」と言って、歩き出しました。すると、広い平原に、荷物を持った一人の男が現われました。ティローが、「あいつを追いかけろ!」と言ったので、ナーローは走って追いかけましたが、全く追いつくことができず、ナーローは疲れ果てて倒れました。
ティローはまた神秘的な力でナーローを癒すと、ナーローに、夢のヨーガの教えを伝授しました。
まずここで起こったことは、ティローについて行ったら、ある荷物を持った男が現われ、ティローの命令によって「あいつを追いかけろ!」と。ナーローは追いかけるけど、全く追いつくことができないと。つまりものすごいスピードでその男が走っていったわけだね。これもはっきりいうとわけが分からないと。ね。で、この試練の後に「夢のヨーガ」を伝授するわけだけど、これもさっきからのセオリー、順番で言うと、風元素ね。アナーハタ・チャクラの――仏教ではダルマ・チャクラって言いますけども――胸のチャクラの浄化及び崩壊のパターンですね。
はい、これもわけが分かりませんが、一応その表面的にリンクすることを言うと、これはつまり「ルン・ゴンパ」の世界だね(笑)。つまりルン、風の瞑想。われわれが――ルン・ゴンパっていうのは、チベット語で「風の瞑想」っていう意味ですが、ここでも何回か言ってるかもしれない――わたし実はちょっと変な言い方するとね、ルン・ゴンパのやり方を知っています(笑)。わたしね、ちょっと話が広がっちゃうけども――瞑想とか、あと夢とか、あるいはフッとしたときとかに、よくいろんな過去世をいくつも思い出してるんだね。でも修行者の過去世ってほとんど思い出してないんです。思い出してないっていうよりも、霞がかかってるんです。これは封印されてるっていうか。恐らくね、あんまり思い出しちゃいけないのかもしれない。まあ時がくれば思い出すのかもしれないけど。他の全然くだらない、修行者と関係ない人生とかは鮮明に思い出すんだけど(笑)、修行してる人生はなんかね、ちょっとぼかしが入ってるっていうか、ちょっと曖昧な感じになってるんだね。なんだけど、その中でもわたしが何度も繰り返し思い出したシーンがあって、それはどういうシーンかっていうと――チベットなんだけど――チベットで、このルン・ゴンパやってるんです。で、それは思い出したんだけど、思い出しただけじゃなくて、夢でも何度もこのルン・ゴンパのやり方を経験してね、あるいは瞑想でも経験して、ついにマスターしたんです。「現実世界できるかな?」と思ってやってみたら――そのころわたしね、ものすごいエネルギッシュで――ものすごいエネルギッシュっていうのは、もう自分の修行ばっかりすごいやってた時期で、あんまり指導とかそんなにやってないときで、すごいエネルギッシュで。他の人から見てもらったわけじゃないんで(笑)、断言はできないんだけど、ちょっとできてたかな(笑)って感じがある(笑)。
(一同笑)
で、これルン・ゴンパってどういうふうにやるかっていうと――これね、皆さんあんまり変な本読んじゃ駄目ですよ。わたし実はいろんな本でこのルン・ゴンパのことを読んで、みんな変なこと言ってるんです。これは結構有名なヨーガ行者の人とか密教の先生とかも、全然間違ったこと書いています。このルン・ゴンパに関してね。例えばちょっと心理学的な形でとらえてたりとかね、意識の世界としてとらえてたりとかするんだけど、そんなのとは全然違うんです。これは完全に生命エネルギーを強めて、この生命エネルギーの流れに乗るような形で歩くんです。これどういう形かっていうと、雰囲気としてはですよ、雰囲気としては一歩がね、長いんです。一歩がポーンって感じで、シューッて飛んでいくんだね。地上をちょっと浮いたような感じで、フーッてかなり飛ぶんです。何百メートルとか。イメージとしてはスキーのジャンプに似てるかもしれない。でもあんなに高くは飛ばないんだけど、低いんですけども、ウーン、ウーンって行って、ちょっとだんだん落ちてきて、ウーンってなったときに、次にもう片方の足でポーンって飛ぶんです。グーンって行くんだね。こういう感じで軽快に一歩数百メートルみたいな感じで、飛んでいくんですね。これを応用して、空中飛行もできます。空中飛行もわたし夢とか瞑想でマスターしたんです。これはさすがに現実ではできなかった。目をつぶると飛んでる気がするんだけどね(笑)。
(一同笑)
でもやっぱりまだ観念っていうか、肉体のカルマが強いっていうか、今生はちょっとできないかもしれないね。昔のチベットとかだったらできたかもしれない。
これもね、ちょっとやり方だけ言うと――言ってもできないだろうから(笑)――生命力によって、この背中の辺りに気の流れを集めて、こう背中からグーっとこう引き上げるような感じなんだね。で、それによって、ちょっと独特な感覚でグーッて浮いてくるんです。
まあ、それはいいとして(笑)――この、つまり早く走る――これは修行っていうよりも、一つのルン――つまり風エネルギーが活性化し、浄化され、覚醒したことで生じる一つの体験なんだけどね。これによって非常に体中を純粋な生命力が満ち、その一つのあらわれとして、歩くと本当に風のように歩くと。
現代は本当に悪い時代なので、みんなが本当に風のように歩くようになれるかどうか分かんないけど、でも多分ね、自意識としてはそういう感じになります。自意識としては風エネルギーが本当に活性化すると、ものすごく体が軽く感じて、歩いてるときも本当に飛ぶような感じ。もう羽が生えてるような感じで歩けるようになる。で、さらに極端にそれが現象化したのが、このルン・ゴンパなんだね。
だからこれはちょっとものすごく論理的につじつまが合うわけじゃないけども、ちょっとイメージとしてリンクすると、まあそのルン・ゴンパを思わせるようなシーンだね、ここはね。
はい、で、ここで夢のヨーガを教えましたと。夢のヨーガっていうのも『ナーローの六ヨーガ』に入ってますが、実際これね、このアナーハタ・チャクラを夢のヨーガ、そして次のヴィシュッダ・チャクラを光のヨーガに当てはめるパターンもよくあるんだけど、でも実際は逆です。実際は胸が光――機能的にはね――で、喉が夢っていうのが本当は正しいんだけど。だからここでなんでこれが逆になってるのか、あるいは一般的に逆にする場合があるから、それがなぜなのかっていうのは、それはちょっと分からない。それはもうちょっと深遠な意味があるのか、まあ何か間違いがもしかしてあるのか、それは分からないのでここはちょっとおいときますけどね。
はい、夢のヨーガっていうのは皆さんも、『ナーローの六ヨーガ』とか読めば分かりますが、夢の中で修行するわけですね。これはさっきの幻身のヨーガとも関わるわけだけども、いってみれば夢を利用して幻身の修行を補助する、手助けすると言ってもいいかもしれない。現実的にやることは、夢を見ない人はまず夢を見るように頑張らなきゃいけないんだけど、夢を見ることができる人は、夢を夢だと気づく訓練を始めるわけですね。夢だと気づいたら、夢の中でいろんなことをやるわけだね。
これは詳しくは『ナーローの六ヨーガ』を読んでほしいですが、例えば体を巨大化したり、逆にミクロ化したり、分身をいっぱい出したり。ね。こういういろんな夢の中でしかできないようなことを意識的にやるわけだね。で、さらには夢の中で高い世界に飛んでいって――まあR君はよくそういうのやってるみたいだけど――教えを聴くんだね(笑)。
あのね、最初はイメージでいいです。最初はイメージでいいっていうのは、本当じゃないかもしれない、最初はね。つまり自分で作り上げたイメージに過ぎなくて、本当にそこに行ってるわけじゃないかもしれないけど、最初はそれでいいです。つまりそれはイメージに過ぎないかもしれないけど、「じゃあ阿弥陀浄土行ってみよう」とかね。あるいは「グルリンポチェの浄土に行ってみよう」とかやって、自分のイメージでいいからバーッて行って、到着して、「さあグルリンポチェ、教えを与えてください」と。で、なにか言ってくれるかもしれない。でもそれを最初は自分で勝手に作りあげてるだけかもしれない。ね。「さあ、この修行しなさい」と。それはそれでいいんです、最初は。最初はそういう自分のけがれっていうか、意識が混ざった感じでいいんだけど、でもだんだん本当に行けるようになってくる。だんだん本当に夢の世界で、まあ現実の瞑想とちょっとリンクするような形で、起きてるときにしっかり修行が進むにしたがって、夢の世界でも自在にちょっとこう動ける範囲が増えていくんだね。でも逆の言い方すると、夢の世界でしっかりとそういった練習をすることで、現実世界における瞑想がすごく進みやすくなるっていうかな。これもまあ夢のヨーガの一つの教えですね。はい、これを与えましたと。