「私が見たアドブターナンダ」より抜粋(2)
師が、ラトゥを神への奉仕の実践に導き入れる前でさえ、絶対服従の約束でラトゥを縛った理由は、明らかではない。
しかし、奉仕の修行においてグルの指導は重要であり、もし弟子がグルを信じて従わなければ、その修行に効果はない、ということを示しているのではないかと私たちは推測する。
したがって、シュリー・ラーマクリシュナは初めから服従を約束させたのかもしれない。師はよく仰ったものだ。
「最高のグルは、怠惰で指示を実行したがらない弟子を見つけると、力を行使したり、強引に服従させたりもする。」
グルは、すべての霊性の実践の中になくてはならない存在であり、神への奉仕の道においては、その存在はより重要になってくる。
繰り返し言う必要はない。その道に熟達した案内人なしに神への奉仕に専心する霊性の初心の修行者は、舵なしでボートに乗るようなものである。――ボートは波によってはじかれたり、激しく揺らされたりして、風が吹くところはどこにでも流されてしまうのだ。
未熟者は大量の仕事の海の中で、そのような運命をたどる。――彼は目的を見失う。すなわち、神の実現、神の人生という目的を。
慈善的またはその他の仕事の中でも、中毒の類のものもある。それは人を狂わせる種類のものである。――彼は目的を忘れる。行為が衝動、つまり怒りを生じさせ、それにより人は足元をすくわれる。彼は疲弊し、混乱し、休息できなくなる。
シュリー・ラーマクリシュナは、ラトゥがサットヴァであると見て、また彼は神を切望するに十分な基準に達していると見ていた。
シュリー・ラーマクリシュナは、ラトゥが未成熟の段階にあるうちは、彼を行為の渦の中に投げ入れたくなかった。したがって、このように忠告したのだ。
「ねえラトゥ、”ここ”を絶対忘れちゃ駄目だよ。」
ラトゥは師との約束通り、生涯を通じてシュリー・ラーマクリシュナの真の召使いであり続けた。
師を忘れて過ごした日は一日もなく、命令を破った日も一日もなかった。――また、師へのご恩を忘れて過ごした瞬間はひと時もなかった。ドッキネッショルでそうだっただけではなく、シュリー・ラーマクリシュナが亡くなった後も、ラトゥは一つの考え、発想、そして目標に徹した。――師に完全に従うため、そして瞬間といえども彼を忘れないために。
こうして、神を忘れないというラトゥの約束を聞いて、師はラトゥに、神の召使い(ダーシャ)たるものは一瞬たりとも神を忘れてはいけないという感銘を与え、彼はそれを生涯忘れることは決してなかった。
ラトゥは生涯神を忘れたことはなかったが、師はラトゥに彼の本性を明かさなかった――師御自身が神の化身であることを。
しかし師は、もしラトゥが諦めなければ神を悟るだろうという充分なヒントをラトゥに与えていた。
神の召使いであったラトゥは、師への最高の帰依と依存によって霊性の修行を始め、最後まで忠実に付き従ったのだった。
彼の帰依心は本当にすばらしく徹底していたので、後年、彼のグルバイつまり兄弟弟子たち、特にナレンドラ(スワミ・ヴィヴェカーナンダ)は、こう語っていた。
「私たち全員の中でラトゥだけが真に師を掴んでおり、私たちは単にラトゥの言葉を繰り返していただけだ。」
私たちがラトゥ・マハラジを実際に目の当たりにしなかったなら、人が一人の人にそのように完全に依存し、自己を明け渡すことが可能なのだということを理解できなかっただろう。
他者のために自分の命を犠牲にすること――それはたった一回行なえば済むものであるが、それよりも、完全に個を滅し、自分ではない者に自分を明け渡して、人生すべてを他者のために捧げ続けることの方が難しい。
それは、霊性の歴史の中では無類な、まれにみる現象である。
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