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「私が見たアドブターナンダ」より抜粋(11)

 前述のように、ラトゥ・マハラジは出家後一年半の間、バラナゴル僧院にずっと滞在していた。この時期(おそらく1888年の冬)、彼は肺炎にかかった。シャラト・マハラジとニランジャン・マハラジは、彼が回復するように看病していた。病気中、ラトゥ・マハラジは、以前にもまして風変わりだった。――彼は医師の命令に従わなかった。

 以下の情報は、ラトゥがちょうど回復した後に僧院を去り、ラーム・バーブの家に滞在していたころのことである。そこでは、ラーム・バーブの妻(ラトゥはよくマザーと呼んでいた)の世話と管理下で、彼はすっかり元の活力ある健康な体を取り戻した。以下に述べるこの時期の出来事は、ヨゴディヤーナのシヴァラームが報告してくれた。シヴァラームは、とても頻繁にラーム・バーブの家を訪れていた。

『その時期、ラトゥ・マハラジの体からはある種の光が発せられていた。――そして、彼の目はいつも半分閉じていた。唇はいつもかすかに動いていた。本当にたまに、彼は誰かと口をきいた。彼はまっすぐな首を少し左に傾けて座っていたが、それはまさに彼が誰かと戦っているかのように見えた。彼の体は、日夜、厚い布と毛布で覆われていた。午後の間中、彼はお日様の下に座り、数珠を操っていた。』

 マザーがプリに行ったとき、マハラジは僧院に戻り、4~5か月間僧院に滞在した。以下は、この時期に起こったことについて、ラトゥ・マハラジの口から直接聞いたことの一つだ。

「ある日、ブラザー・シャシが”オールド・スワミ”(スワミ・サッチダーナンダ)に、早朝寺院に捧げる師の歯ブラシとして、葉っぱを取り除いた新鮮な木の小枝などを取ってくるように頼んだ。オールド・スワミは、小枝の先端の片方を打って柔らかい繊維状にしてブラシのようにすることを知らなかった。だから彼は普通の人がしているように、小枝をそのまま打たないままで持っていった。師に朝ご飯を捧げる時間、シャシは”オールド・スワミ”をこっぴどく叱り、彼に駆け寄って言った。

『ろくでなし! 君は今日、師の歯茎を血だらけにした。よく教えてやろう。』

 僕は”オールド・スワミ”に叫んで、

『親愛なる兄弟よ、何を見てるんだ? 逃げなさい!』

と言った。そして彼は飛んで逃げ、事態はすぐに鎮静化した。シャシは他の枝をしっかり叩いて、柔らかい繊維状にし、前の歯ブラシは捨てた。
 見てください! ブラザー・シャシの、師に対する奉仕の精神を!」

 1888年のファルグンの月(2月~3月)、ヨギン・マハラジがアラハバードで天然痘にかかり寝込んでいるという知らせがバラナゴル僧院に届いた。すぐに、シャシ・マハラジとアドワイターナンダ以外の全員がそこに行き、彼に奉仕しようと決めた。
 しかし、バラナゴル僧院の日々の仕事を行う十分な人手がないことが分かり、ラトゥ・マハラジは僧院の兄弟弟子に来るように頼まれ、すぐにそれに従った。
 バナラゴル僧院に来てから約5か月が過ぎた頃、ラトゥ・マハラジはホーリーマザーと一緒に巡礼に発った。マザーはプリから戻り、アントプルでバブラーム・マハラジのお母さんと数日を過ごした。そのとき、たくさんの僧院のスワミ達、ヴィヴェーカーナンダ、ヨーガーナンダ、サーラダーナンダ、ニルマラーナンダ、そしてマスター・マハーシャヤやヴァイクンタ・バーブのような在家の弟子たちがホーリー・マザーに同行した。
 全員がアントプルからカルカッタに戻り、ラトゥ・マハラジ、カーリー・マハラジ、そしてその他の何人かはターラケーシュワル経由でジャイラームヴァーティにマザーと同行した。ラトゥ・マハラジやカーリー・マハラジはそこで1週間を過ごし、師の生地であるカーマールプクルに出発した。そこで彼らは共に、師の人生に由来のある重要な場所を全部訪れた。そして師の最初の付き人であったフリダヤラム・ムッコーパディヤーヤに会い、彼らはカルカッタに戻った。

 そして、1890年という運命的な年に入った。
 バラナゴル僧院の2人の重要な信者が亡くなった。まず初めにインフルエンザがバララーム・ボースを、そして水腫がスレン・バーブを連れ去った。バラナゴル僧院の信者であり後援者でもあったこれら2人がいなくなったとき、僧院のハト小屋に自然と羽ばたきが起こった。このとき起こった出来事について、私たちがラトゥ・マハラジの口から聞いた事をここにご紹介しよう。

「バララーム・ボースが病床に伏していたとき、僕達は彼を頻繁に訪れた。ときどき僕はそこに4~5日間滞在した。そして僕はよくマスター・マハーシャヤのカンブリアトラ・ハウスからバララーム・ボーズの家まで、ホーリーマザーをお連れした。
 そのとき、マハープルシャ・マハラジ、ブラザー・ニランジャン、グプタ・マハラジ(スワーミー・サダーナンダ)は、真心こめて彼に奉仕していた。
 彼が病床に伏している間、ラーム・バーブ、ギリシュ・バーブ、スレシュ・バーブとマスター・マハーシャヤ、マノモハン・バーブ――全員がバララーム・ボーズをよく訪れていた。
 バララーム・ボースが亡くなった日、彼は師のことだけを絶え間なく話していた。マーク、彼はそれ以外の事は何も話さなかったのだ。」

「スレシュ・バーブの病気について聞いたとき、ブラザー・シャシは僕を馬車に乗せて、見舞いに連れて行ってくれた。スレシュ・バーブはシャシを見て言った。

『兄弟よ、(ここに)500ルピーがある。このお金で師に小さな聖堂を建てて下さい。』

 これに対してブラザー・シャシは言った。

『なんて馬鹿げたことを君は話しているのですか。まずは病気に打ち勝ちなさい。お金を渡すのはそれからです。』

 スレシュ・バーブはなおも主張しつづけたが、ブラザー・シャシはお金を受け取らなかった。
 
 スレシュ・バーブはこの病気から一度も回復しなかった。彼は誰かと一緒に、シャシにお布施するお金を貯めていたそうだ。――しかしシャシが病床に伏しているスレシュ・バーブを見舞いに行ったとき、彼はそれを受け取らなかった。
 ベルル僧院が設立されたとき、大理石の厚板がこのお金で購入され、寺院の床に張られた。スレシュ・バーブの気持ちだ。臨終の際でも、彼は師と師の子供たちのことを考えていた。」

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