「私が見たアドブターナンダ」より抜粋「強烈な切望と奉仕」(3)
あるとき、ラーム・バーブと共に住んでいたニティヤゴーパールが、腸チフスにかかった。
死が、彼の命と共に恐ろしい遊戯を演じていた。
アヴァドゥータ(彼はそう呼ばれていた)は、高い段階の聖者だった。
彼は、霊性の修行をしているときには特に、よく恍惚状態になっていた。
それらの感情が強烈に高まっている間、彼には、発汗し、鳥肌が立ち、戦慄が起き、わけが分からないことをしゃべり、しわがれた声になり、泣く、笑う、怒るなどのような興奮、そしてその他のサットヴァ的な肉体的変化がよく見られた。
腸チフスに襲われていながらも、それらの強烈な変化は何の前触れもなく起こった。
これに、ラーム一家の人々は非常に神経質になった。
いろいろ考えた末に、ラームはラトゥを彼の看護につけた。
ラトゥは喜んで承諾した。
ラームは、その患者の体にそれらのサットヴァ的な変化を見つけたらすぐに、彼の耳元で主の御名を唱えるように助言したのだった。
それは、その病に対しての最高の薬であった。なぜなら、バクティの聖典に、「御名の中にバーヴァは住まい、御名の中でそれらは弱まる」と説かれているからである。
この御名とバーヴァの風変りな関係は、ラトゥの仕事を二倍困難にした。
なぜなら、主の御名を聞いているうちにアヴァドゥータは恍惚境から戻ってくるが、同じようにずっと繰り返していると、また恍惚境に入ってしまうからだ。
それゆえに、ラトゥは昼夜ずっと休むことなく、主の御名を唱え続けなければならなかった。
主が、彼のお気に入りの信者のために、主の御名を休みなく唱える機会を設けたのだ。それは明らかである。
ラトゥがこのように主の御名を繰り返すことでどれほどの平安を楽しんだのかということは、記録されていない。
しかし聖典には、絶え間なく主の御名を唱えることで、不安は取り除かれ、心が平安になる、と説かれている。
アヴァドゥータは、四か月もの間、病気にかかっていた。
その間ラトゥは、ずっと献身的に彼に奉仕した。
以下に、アヴァドゥータがそれについて感じたことを記そう。
「私は、ラトゥの心からの奉仕を決して忘れることはできない。
昼夜、彼は私の寝床のそばにいてくれた。そしてすべてのものを事前に準備していてくれた。
私が何かが急に必要になったときはいつでも、それはすぐに供給された。
彼が疲れたり、冷淡になったのは一度も見たことがない。
彼は神の御名の絶え間ない激流を私の耳に注いでくれた。
彼は手を抜くことは一度もなかったし、すべての仕事をこなした。それに、用を足しに行くのも手伝ってくれたのだよ。――汚物は彼にとって汚物ではなかった。
彼の口からラーマの御名を聞くと、私は苦しみをすっかり忘れてしまったよ。」